「来年こそ」と誓った直後の震災 朝市通り“名物”えがらまんじゅう 再開は「一歩踏み出す勇気が…」
能登半島地震の発生から半年。大規模火災に見舞われた、石川県輪島市の朝市通りでは、創業当初からつくり続けている“えがらまんじゅう”が人気の和菓子店も、焼け落ちてしまった。「もう一度うちのまんじゅうを食べてほしい」と思いながら、店も自宅も失ったいま、「何ができるのかと悩むこともある」との気持ちものぞかせた。 【3Dで遺す】輪島の朝市通り…火災の爪痕 能登半島地震の被災を知る
■「ああ、終わったな」と 火事は誰にも責められない
毎朝生地から手作りする“えがらまんじゅう”は地元に愛され、遠方から“まとめ買い”をしにくるお客さんも多かった。こし餡を包んだ饅頭は、くちなしで染めたモチ粉をまぶしてあるため鮮やかな黄色をしている。その見た目が栗のイガに似ていることから、それがなまって“えがら”と呼ばれるようになった。 三代目店主の塚本圭一郎さん(43)はこの店で生まれ、育ち、働いてきた。 「おじいちゃんが50数年前に建てた3階建ての住居兼店舗が自慢だった。ここに家族と店の歴史がすべて詰まっている。それなのに、あっという間に燃えてしまった」と、剥き出しの鉄骨だけが残ったかつての店舗を眺める。家族一丸となって奮闘してきた情景が蘇る。 「みんなで必死に頑張って、店のローンを返した。その後、数百万円する機械を何度か導入したけれど、その借金もようやく返済し終わった。母親と、あとは死ぬまでのんびり饅頭を作り続けようねと言っていたのに…」と悔しさを滲ませる。 コロナ禍には大打撃を受けたが、何とか踏ん張り、昨年客足もようやく戻ってきた。大晦日、「来年からは朝市もかつての賑わいが戻るはず。がんばろう!」と家族で話していた直後の震災だった。
■全焼した建物跡に注文を受けていたPC
店舗の1階にはパソコンが置かれていた。ここで店番をしながら、注文のメールなどをやりとりしていた。 幸い、帳簿や書類は会計事務所に預けていたため、店の再開手続きをする際に困ることはなさそうだという。しかし、父親から聞き取りした饅頭のレシピなどは紙に書かれており、全て焼失してしまった。
■1台数百万円の機械 それと同じくらい大切なものを失った
店舗の奥には、毎日早朝から稼働していた作業場があった。ここでは、塚本さんと両親、数人のパートのスタッフが働いていた。餡を炊くのに欠かせない大きな二重釜や、餡の皮と中身を分離する機械などは見る影もなくなってしまった。 数百万円する専門的な機械の多くが燃えたことも大きな損失だが、それと同じくらい大切な物も失ってしまったという。それは、仕事場のあちこちに張られた、製法を書いたメモ。細かくグラム数までも記してあった。ほかにも、使い慣れた木枠や木製のヘラなど、替えのきかない物が、ここにはあった。