32歳モデルがパリコレで外した義眼 “顔を髪で隠さない”挑戦…感動の会場、届けた「前を向く」勇気
日本で祈っていた母の啓子さんは「無事に歩けた」と感無量
あっという間の夢のような時間。「本当に楽し過ぎて、一瞬で終わったという印象です。『ありのままの自分をもっと好きになれる』。そう確信しましたが、それには時間がかかる。そのことも実感しています」。 そして、「義眼とひとことで言うのは簡単ですが、金銭面の事情で購入できなかったり、その人それぞれの目の形に合わせるのですが、痛くて付けられなかったり、実は義眼をしたくても入れられない人が少なくないという実情があります。私自身、20歳の頃にお医者さんから義眼を勧められて、それでも怖くてずっと拒否してきました。完全失目の告知の際に、母がお願いしますと言ってくれて、それで義眼を付けることを決心できました。そんな私に、今度は義眼を外すという新しい目標ができました。付けたくても悩んでいる方や、義眼がなくても前に進もうとしている方に、私なりにメッセージを届けていければと思っています」。真摯(しんし)な思いを明かす。 パリコレデビューの日、日本にいた家族たちは時差で夜中なのに、眠らずに成功を祈ってくれた。母の啓子さんは「無事に歩けた」と喜んでくれた。家族の反応を聞いて実感が湧いたという。帰国後は大反響で、通知や連絡が止まらない。自身の半生について和太鼓の演奏とともに届ける講演会の依頼が企業から届いている。 貴重な経験をへて見つけた、新たな自己表現の形。常に感謝の思いを持ちながら「今を楽しく生きる」という人生のモットーを貫き通す覚悟だ。「義眼を外すこと。それは時間がかかっても、いつか実現させたいです。それに、世の中の多くの方に、義眼を巡る課題や私たちのことを知っていただければ。私自身、この目の病気も、過去のいじめも、義眼のモデルとして活動していたからこそパリコレに出られたことも、すべて神様のプレゼントだと思っています。どんなにつらいことがあっても、頑張った先にはすばらしい世界が待っています。そんな“希望の光”をこれからも届けていきたいです。『前を向いて生きていこうね』。私なりに伝え続けていきたいです」。真っすぐ前を見据えた。
吉原知也