【NHK大河】“吉原”という特殊な地域に生まれた「蔦屋重三郎」はいかにして「江戸のメディア王」にのし上がったのか
田沼期のバブル景気に乗る
蔦重が飛ぶ鳥を落とす勢いだった天明期(1781~89)、政治の実権は田沼意次にあった。 田沼は商業資本を活用して貿易振興、蝦夷地開拓、専売制など産業拡充を実現させる。諸色高直のインフレ経済ながら民の懐もふくらんだ。 狂歌師の乱痴気ぶりは、当世のスラングの“パリピ”と変わりない。吉原でのお大尽(大富豪)の豪遊ぶり、吉原の女たちの絢爛豪華な振る舞いは摺り物を通じて世間の知るところとなる。江戸の衆はたちまち触発された。男女ともオシャレに余念がなく、美食に走った。ペットブームもあった。 しかし、田沼のもとで贈収賄がまかり通ったのは周知のこと。幾度となく天災、飢饉、疫病の猛威にさらされもした。昭和末期から平成初期のバブル景気に平成の天災や異常気象、令和のコロナ禍などを重ねれば、田沼時代が身近に感じられよう。 蔦重の出版物は時代の合わせ鏡、そんなこんなの世相をことごとくすくいあげた。 ※本記事は、増田晶文『蔦屋重三郎 江戸の反骨メディア王』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。 関連記事【格子の向こうから女たちが声をかけ、客は格子越しに一夜妻を選ぶ──時代劇でおなじみの「吉原」はどんな町だったか?】では、蔦屋重三郎が生まれた「吉原遊郭」の町の様子について紹介している。
デイリー新潮編集部
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