モラルやマナーを守らなければ歴史を歪める危険も!はにおくんが墳活を通じて感じたこと。
皆さんは冬休みどのように過ごしましたか?今回は『冬休みの歴史研究』と題して、今まで登場してくれた歴史人キッズが自分の好きな分野の歴史を自由に調査し、発表してくれます!歴史好きのみんなはどんなことに注目しているのかな?歴史を調査してどんな想いをもったのかな? はにおくんの『冬休みの歴史研究』もついにラスト! 最後は、『歴史人』でも執筆して頂いている、柏木宏之先生にコメントを頂いたよ♪ ≪冬休みの墳活(3):古墳に残る後世の人々の生活痕≫ お正月に初詣で、岡山市北区高松稲荷にある最上稲荷を訪れた。本殿を参拝した後、旧本殿から30分ほど龍王山を登り、最上稲荷の霊場である八畳岩へ向かう。八畳岩の周辺にある、4基の古墳からなる佐太郎塚古墳群を訪れるためだ。 八畳岩から山道を少し歩くと、道のすぐ近くに開口している5号墳の横穴式石室が目に飛び込んでくる。羨道の天井石は失われているが、羨道の側壁や開口部の石積みは美しく、大型の玄室もきれいに残っている。右片袖式の玄門を通って玄室に入ると、石室内には古い家具や廃材などのゴミが投げ込まれていた。せっかく石室がきれいに残っているのに、とてももったいないと感じた。 5号墳から少し雑木林を入ったところに4号墳がある。大きな樹木が何本も生えた墳丘に、横穴式石室が開口している。4号墳では、石室の床が掘り下げられ、奥壁の近くに石材が置かれていた。後世の人が石室を改変し、石材をテーブルのように利用したと考えられる。また側壁の石材の隙間は、漆喰のようなもので埋められていた。後世に人が石室に住みつき、快適に過ごすために改変した遺構と考えられる。 5号墳や4号墳から山道を挟んだ向かいの雑木林に入ると、すぐにこんもりとした大きな円墳が見える。古墳群で最大の1号墳だ。立ったままで入れる巨大な横穴式石室の奥には、石棚がある。古墳の石室で見られる石棚とは、奥壁側に平らな石材を設けたもので、側壁に噛み込ませて安定させている。石棚の古墳は、岡山県内では佐太郎塚古墳群を除いて5例が見つかっている。県外では、和歌山県や徳島県、香川県、兵庫県などで石棚の古墳が知られているが、石棚の用途は未解明である。佐太郎塚1号墳に見られる石棚は、側壁に噛み込んでおらず、テーブルのような足がついている。石棚の上には、後世に住んでいた人が使ったであろう食器や食べたであろう貝殻も散乱していた。 古墳は、築かれた後も、その場所の人々と共に過ごしている。後世に城に改変された古墳もあれば、墳丘に神社が建てられた古墳や墓地に転用された古墳もある。古墳時代に築かれた古墳そのものだけでなく、古墳がその場所で現在まで歩んできた歴史もまた、「古墳」の一部になってしまう。過剰な改変は、発掘調査から得られる古墳の情報を歪めかねないが、古墳を保護しすぎると見学すらできなくなってしまう。岡山では自由に立ち入りできる古墳が多いので、節度を持って見学するようにしたい。 柏木宏之先生からのコメント 地元の古墳を訪問して記録を作ることから始めるのはとても大切なことです。板東君がしている活動を「踏査(とうさ)」といいます。訪れて風景を実感し、石室の内部を観察して、資料を集めてほかの古墳と比較検討するという学習方法です。 記事を拝見すると、非常に詳細に観察していて知識も豊富なことが分かります。 「栴檀は双葉より芳し(せんだんはふたばよりかんばし)」といいますが、少年のころから一意専心するのはすばらしいことですし、古墳の伝世事情にも考察を及ぼすなどは、とても大切な視点です。 もう少し成長したら分析研究に必要な理学系の知識も身につけましょう。 新発見の古墳や遺跡が多く報告されていますので、将来頼もしい中学生です。がんばれ!
板東郁仁