狩猟シーズンはほとんどスーパーで肉を買わない…父が狩る「大ネズミ」の唐揚げを食べる家族の日常
「坂本、おまえのお父さんが仕事ばせんと、先生も、坂本も、校長先生も、会社の社長さんも、肉ば食べれんとぞ。すごか仕事ぞ」 先生の言葉は、しのぶ君にとってどんなに嬉しかっただろう。しのぶ君は家に帰ると「お父さんの仕事はすごかとやね」と言った。坂本さんは動物を殺す仕事が辛くてやめたいと思っていたが、息子から思いがけない言葉をもらい、もう少し続けてみようかなと思う。 しのぶ君の担任の先生の言葉に、私は心を打たれた。狩猟をすることも、解体をすることも大変な仕事だ。文祥がそれらを自らに課している姿を見ているうちに、動物の命をもらって生きていること、私の代わりに、今日も誰かが、動物を殺す仕事をしていることを想像するようになった。
とはいえ、殺すことには後ろめたさがつきまとう。鹿の解体後、ウッドデッキに鹿の生首が転がり、ベランダの柵に鹿の生皮がべろんとかけられているのを見ると、げんなりする。散歩で通りかかった犬が鹿の血の匂いに反応し、キャンキャン吠えている。「ほら、な~に、やめなさい」。飼い主さんがうちのウッドデキをのぞいて、ギョッとしたのが気配でわかる。 夫が会社に行ってしまうと、私はそれらをこっそり人から見えない場所に隠す。
■ヌートリアをお弁当に 苦労して大型動物を仕留めて持って帰ってくる人と、それを受け取って食べるだけの人の間には、意識の差がある。 生協の宅配が届いた日、私が留守にしていたので文祥が発泡スチロールの箱を開けて食品を冷蔵庫に移した。すると、豚肉や鶏肉のパックが出てきた。 「肉、たくさん買ってるね」。帰宅後、イヤな予感が当たり、やはりイヤミを言われた。「たくさん鹿肉があるのに、どうして肉を買うの」 「いやー、だってさあ、お弁当もあるし」とごまかすが、どうも気まずい。
「鹿だけだと、やっぱり飽きちゃうのよ」 「じゃあ、鹿、イノシシ、ヌートリアって回せばいいだろう」 「ヒーッ」 そうこうしているうちに、文祥が岡山県の川でヌートリアを8匹も狩ってきた。今、ヌートリア猟がマイブームらしい。かんべんしてください、と私は思った。これまでにもヌートリアの肉を何度か食べたが、“ネズミ味”はあまりおいしくない。有蹄目の鹿は食料としてわりとすんなり受け入れたが、ヌートリアとなるとグッと人間に近い種という気がする。どこかの国ではごちそうだというから、これも習慣の問題なのだろう。