老舗百貨店・山形屋が踏み出す経営再建…待ち構える苦難の道「絵に描いた餅では金融機関が納得しない」 私的整理で〝復活〟果たした企業が明かす道のり
山形屋(鹿児島市)が私的整理の一種「事業再生ADR」を活用し、取引金融機関の支援を得ながら経営再建に取り組んでいる。鹿児島県内には、人員削減や事業の縮小など痛みを伴う改革を乗り越え、回復してきた企業がある。精密切削加工を手がけるマルマエ(出水市)は、県内で初めてADRを申請。トップが残って持ち前の技術力をさらに磨き、成長分野の半導体事業への転換で再建を果たした。 【写真】〈関連〉私的整理を経て再建を果たした城山観光が運営する城山ホテル鹿児島=鹿児島市新照院町
マルマエは2011年にADRを申請。創業家の前田俊一社長(57)は「再建は簡単ではなかった。株は会社に譲り渡し、負債の一部は個人資産で弁済した」と回顧する。 1965年創業の同社は設備力を強みに成長し、2008年に液晶や太陽電池の製造装置組み立て事業に進出。60億円かけ熊本県や埼玉県に工場を増設した。当時、太陽電池分野で年間100億円ほどの受注が見込まれていた。 ただ同年9月、リーマン・ショックがあり受注はゼロに。先行投資と急激な為替変動で、09年の決算では7億円の純損失。事業の立て直しを急ぐも対応できず約25億円の負債を抱えた。 一般的な私的整理と異なり、ADRは弁護士やコンサルといった第三者が関与する。メインバンクに負担が偏ることなく、取り引きのある金融機関へ平等に対処できるのが利点に映った。非公開で進められる特長もあったが、06年に上場していたことから申請は公表した。 私的整理を含め、上場企業による再建でトップを残す前例は少ない。ただ金融機関の判断は「留任」。ADRは経営陣の退任で事業へ支障が出る場合、続投も認められる。高い加工技術を持つ前田社長が営業から管理まで、ほぼ一人で担っていた。
再建に乗り出す中、一番の苦労は人員整理だったという。全従業員115人中23人をリストラ。うち17人が11年5月閉鎖の熊本事業所在籍。経営責任で役員2人が退任した。「人員削減は自力ではできなかった。第三者の介入があってこそだった」と振り返る。 5年間の再生計画は、生産技術改善による効率化や半導体分野への転換が軸。行動計画には半導体での成長戦略を反映させ、売り上げなどの数値計画は盛り込まなかった。「現実的な案を示すため、売り上げは維持して経費削減で利益を出す内容にした。金融機関は絵に描いた餅では納得しない」と厳しさを語った。 ADRでは、債権者の金融機関以外に影響はないとはいえ、不安感を示す発注先もあり前田社長が説明へ奔走した。自ら現場にも出て指導、生産方法や製品の値付けなどを抜本的に見直した。技術力の再構築が奏功し、半導体事業の新規受注も増え始め、14年には純利益3億円まで回復。計画を1年半前倒しで終えた。優先株も15年に全て買い戻し、再建を果たした。
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