斉藤立、日本柔道史上初の親子金メダルへ決意…15年死去の父・仁さんの「1ミリ」にこだわった教え胸に初五輪
柔道男子100キロ超級の斉藤立(22)=JESグループ=がスポーツ報知の取材に応じ、16日の「父の日」に向けて、1984年ロサンゼルス、88年ソウル五輪を95キロ超級で連覇した仁氏(享年54)への思いを語った。今夏のパリ五輪では日本柔道史上初の親子金メダルに挑む。 斉藤は父の日を前に、親子で過ごした貴重な時間に思いをはせた。15年1月20日。仁氏との別れが人生を大きく変えた。当時は中学1年。「性格が子どもだった。腐った状態だった」。直後は実感が湧かなかったが、次第に父の偉大さを知った。辞めたくて仕方がなかった柔道に本気になった。がん性胸膜炎で亡くなる前日にかけられた「稽古、行け」。最期の言葉を胸に稽古を積み、この夏、父と同じ晴れ舞台に立つ。 優しい父だった。幼少期。仕事で家を空けることは多かったが、休日は大阪・スパワールドで兄の一郎さん(25)と2対1の水中柔道対決に夢中になった。大きな球でキャッチボールをして遊んだ。「自分のことをものすごくかわいがってくれていた」と懐かしんだ。 だが、小学1年で柔道を始めると、畳の上では「恐怖」の存在に変わった。車中で震えながら道場に向かった。帰宅後も特訓は続き、3度間違えれば怒号が飛んだ。「1ミリ、こっちだ!」。厳しく、緻密(ちみつ)な指導は体に染み込んでいた。その後、全日本男子の鈴木桂治監督ら、父にゆかりのあるさまざまな指導者と接する中で「思い出した。言ってることは同じや」と、何度も亡き父の教えに気付かされたという。 父が出場した2度の五輪の映像は数え切れないほど見た。子どもの頃は84年ロサンゼルス大会の「根こそぎ一本取る柔道」に憧れた。今は右膝の半月板とじん帯を痛めながら戦った88年ソウル大会に勇気をもらっている。「膝もボロボロで寝技しかない。搾り取ったもので、執念で戦っていく柔道を尊敬している」と明かした。 父が生きていたら、五輪を前にどんな言葉をくれたのかは想像がつかない。だが、父が望むことは分かっている。「自分の中で五輪で勝つことが唯一の恩を返せること」。日本柔道界初の親子での五輪制覇へ、22歳の覚悟は決まっている。(林 直史) 〇…斉藤は五輪前最後の実戦として、パンアメリカンオープン(21、22日・リマ)に出場を予定している。格付けの低い国際大会だが、五輪でのシード順位を上げることが目的。本番は男子100キロ超級は8月2日(現地時間)に決勝まで行われる。五輪2度制覇のテディ・リネール(フランス)らと争い、最重量級では08年北京大会の石井慧以来の頂点を目指す。 ◆親子五輪メダル 日本では過去3組。体操で相原信行(60年ローマ団体金など)、俊子(64年東京女子団体銅、旧姓・白須)夫妻の子どもの豊が92年バルセロナ団体銅。塚原光男(68年メキシコ市団体金など)の長男・直也が04年アテネ団体で金。重量挙げで三宅義行が68年メキシコ市銅、娘の宏実が12年ロンドン銀、16年リオ銅を獲得し、個人種目で初めて達成。 ◆斉藤 仁(さいとう・ひとし)1961年1月2日、青森市生まれ。国士舘大助手だった83年のモスクワ世界選手権で無差別級優勝。95キロ超級で84年ロス、88年ソウル五輪を連覇。全日本選手権は88年に初V。89年に引退し、2004年アテネ、08年北京五輪は男子代表監督。15年1月20日、がん性胸膜炎のため死去。享年54。18年に国際連盟殿堂入り。 ◆斉藤 立(さいとう・たつる)2002年3月8日、大阪市生まれ。22歳。5歳で柔道を始め、小6で全国少年大会優勝。大阪・上宮中―国士舘高―国士舘大。全日本選手権は19年に史上最年少17歳1か月で出場し、22年に年少3位の20歳1か月で初優勝。22年マスターズ大会優勝。世界選手権は22年2位、23年7位。191センチ、165キロ。家族は母と兄。
報知新聞社