橋本環奈が過去・現在・未来に向き合う 『おむすび』が描く“あの日”の傷と再生
米田家が今一番向き合うべき“現在の歩”
事実、歩は誰かの悪影響などによって「(聖人の言葉で言うところの)不良」になったのではない。自らの選択によってギャルになった。これが彼女自身の心の傷に対する向き合い方だ。いっぽう聖人は、このような歩の変化についていくことができず、ただただ否定・批判することしかできなかった。そうして父娘の関係はディスコミュニケーションに陥り、それを放置してしまった結果としてあるのが、おそらくいまの状態なのだろう。 ときおり母と娘がコミュニケーションを取っていたことはいくらか描かれているが、第6週ではもう少し彼女たちの関係に踏み込んだ内容が描かれるのではないだろうか。そして、「あの日のこと」を涙ながらに語る結の姿から、彼女もまた姉にうまく向き合えないできたのであろうことが分かった。聖人が先か、結が先か。歩とちゃんと向き合うことができたとき、米田家のかたちはまたポジティブに変わっていくのではないだろうか。 米田家の人々は、いまだに「あの日のこと」に囚われ続けている。だが向き合うべきは過去の歩ではなく、いま目の前にいる彼女だ。過去は現在になり、やがて未来へとつながっていく。どのような未来を築いていくのかは、現在をどう生きるかにかかっている。いまこの瞬間を全力で楽しむため、結は「博多ギャル連合」の面々とパラパラを踊った。そしてその先に、未来はあるのだ。ようやく『おむすび』が描こうとしているものが掴めてきたような気がする。
折田侑駿