高嶋ちさ子の父、ダウン症の長女を通じて知った素晴らしさと「抜け殻のようになった」妻との別れ
妻が難病の「間質性肺炎」と診断される
「僕はプロデューサーという仕事が好きで好きで、会社に行っちゃうと家のことは頭の中から消えちゃう。電話の1本すらしませんでした」 とはいえ、夫婦仲はよかった。薫子さんはそういう高嶋さんをよく理解してくれていたし、何より2人はよく話をした。音楽の話、子どもの話、時には人の悪口も。 「ユーモアのある人で、とにかく話がおもしろい。これはね、あまり大きな声では言えないけれど、悪口のセンスが抜群でね(笑)。2人で大笑いしながら話すの、楽しかったなあ」 と高嶋さんは思いをはせる。 子育てを終え、そんな2人の時間がずっと続くと思っていたとき、薫子さんは突然病魔に侵される。難病の「間質性肺炎」。診断されたときは、2か月持たないかもしれないと言われたほど重篤だった。 最悪の事態は免れたものの、病気は刻々と進行していった。 「それからは私が料理をしたり、話をしたり、できる限りそばにいました。別れまで少しでも時間をつくりたかったから。でも、会社を長期間休むという選択まではしなかったんです」 仕事大好きな自分が妻のために仕事を休む……それがかえって妻を苦しめることになると思ったのだ。 「でも、最期はあの強気な家内が『仕事から早く帰ってきて』なんて言ってね……。そういう姿を思い出すと、ああ、会社なんか休んでもっともっと一緒にいてやればよかったと思ったり、もっと早く病院に連れて行っていれば、もう少し生きられたかなあと思ったり。後悔ばかりです」 現在は長女と自宅で2人暮らし。料理を作ることもある高嶋さんが、もうひとつ後悔していることがある。 「自分で作るようになってわかりますけど、食べてくれる人がいるってほんとに幸せなこと。家内はよく『夕飯を食べないんだったら、ひと言連絡ちょうだい』って言っていたのに、僕は電話ひとつしなかった。ほんとに申し訳なかった。用意したのに食べてもらえないなんて、そんなに悲しいことはないですよ」 愛する人を失ったとき数限りない後悔が姿を現す─。 「家内との別れは、身体が半分持っていかれるほどつらかった。時々ね、無性に会いたくなりますよ。笑って僕の話を聞いてくれないかなあって。家内は逝く前に『私はいい人と結婚できた』と言ってくれたのですが、その言葉がずっと心に残っています」 今でこそ元気で活動的な高嶋さんだが、しばらくは茫然自失の日々だった。が、高嶋ファミリーとしてのテレビ出演の機会が訪れた。 「あとでわかったんですが、家内を亡くして抜け殻のようになっていた僕を見て、ちさ子が『このままだとボケちゃう』と心配して仕込んだことでした」