【『内村プロデュース』が19年ぶり復活】内村光良の「静かな革命」 デビュー当時を知る共演者が明かしたコント王の原点
女性ファンに「しーっ!」
かずおはウンナンの代表作『日比谷線 vs銀座線』を観たときの衝撃をこう振り返る。 「日比谷線と銀座線を人間に置き換えて、互いに罵り合ったり、不平や不満を漏らすんですけど、こんな切り口があったんだ、って。周りの芸人たちも『やられた……』って言ってましたけど、内村さんじゃなきゃ絶対に作れないと思いますよ」 ゆたかは、内村のこんな仕草を目撃したことがある。 「ウンナンさんが出てくると女の子たちがちょっとしたことでも大笑いしちゃうんです。でも、笑いが収まらないと、次のシーンにいけないじゃないですか。なので、内村さんが客席に向かって『しーっ』ってやったんです。あんなことやる人、初めて見ましたね」 そのあたりも内村が作り手だったことの証左だろう。
ショートコントを発明
草創期のウンナンの歴史を紐解くとき、運命的な出会いとして必ず語られるのが音楽グループのジャドーズだ。彼らは音楽の合間に短いネタを披露した。紙を切る音などの音芸や、物真似を披露し、その間を「ジャジャジャジャ、ジャジャジャジャジャ」と口ずさむことでつなぐ。今日ではブリッジと呼ばれるようになった手法だ。彼らのショートネタの影響を受け、ウンナンは「ショートコント、○○」というやり方を始めた。この発明が時代を動かした。永峰が語る。 「それまでも似たような短いコントや漫才はあった。けど、あそこまで自覚的にやったのは彼らが最初でした。あの形が当時のテレビにはまった。ショートコントをやり始めてからは一気に売れていきましたね」 ウンナンと同期で、数々のテレビやライブで共演したお笑いコンビのうちの1組にピンクの電話がいる。ぽっちゃり体型の竹内都子と、甲高い声とすらりとした体型が印象的な清水よし子からなる凸凹コンビだ。
2人も、もともとは役者志望だったという。竹内が思い出す。 「うちの事務所の石井光三社長に『あんたらな、一生懸命芝居をやってもひとつセリフをもらうのに10年かかるで。でもコントで売れたら、6分間は主役をできるんや』と言われて。そうかと思ったんです。その頃のテレビのネタ時間は6分だったんで。けど、ウンナンさんが売れ出してからはどんどん短くなって、3分とか1分になっていった。みんなショートコントをやっていましたね」 清水はショートコントの強みをこう説明する。 「長いネタだと笑わせるまでに時間がかかるんです。でもショートだと、すぐに笑いが来る。お客さんも、ずっと笑っていられるじゃないですか。だから、おいしかったんだと思います」 ちなみに2人の内村の印象は笑組とはずいぶんと異なる。竹内は言う。 「内村さんは人混みの中でも誰にも気づかれないそうです。昔から『おれはオーラ消しが得意なんだ』と話していて。売れてくると、どうしてもオーラが出てくるものじゃないですか。でも、それを消せるそうです」 清水の中の内村も庶民派だ。 「偉ぶった感じのまったくない方でしたよ。コンビニが大好きで、たこ焼きとかおにぎりを買って食べるのがお好きでした。コンビニのネタもたくさんありますもんね。私は南原さんの方がメイク室とかで一緒になると、ちょっと緊張しちゃう感じがありました」 内村はネタに関しては求道者的なイメージもあるが、こんな一面もあったという。清水の証言だ。 「みんな行き詰まって、夜中に『どうする?』みたいになってくると、内村さんがスパッと『ダメ、ダメ。これ以上考えてもいいアイディアは浮かばないから。解散!』って。で、次の日、ちゃんとでき上がるんです」 内村とピンクの電話はもう20年以上、会っていないそうだ。清水がポツリとこぼす。 「一緒にやっていた頃は仲間っていう感じでしたけど、今はすごい遠いところに行っちゃった人みたいな……。今、ここに内村さんが現われたら緊張しちゃうかな」 内村は「東の」ではなく「日本の」になった。 【プロフィール】 中村 計(なかむら・けい)/1973年、千葉県生まれ。ノンフィクションライター。著書に『甲子園が割れた日』『勝ち過ぎた監督』『笑い神 M-1、その純情と狂気』など。スポーツからお笑いまで幅広い取材を行なう。近著に『落語の人、春風亭一之輔』と、共著『高校野球と人権』。 ※週刊ポスト2024年10月11日号