戻らない住民「高台移転」のいま 石巻市雄勝地区
東日本大震災の大津波で沿岸一帯が被災し、被災者の生活再建がままならない状況はいまも続いています。震災後、津波対策として、集落ごと高い場所に移る「高台移転」事業や防潮堤の建設が進められていますが、被災地では、住居や職の問題から人口流出の問題も課題になっています。復興を目指す町で、これらの事業はいま、どうなっているのでしょうか。
津波被害に関する復興事業には、高台移転事業と防潮堤建設事業があります。防災集団移転促進事業は、いわゆる高台移転事業で、被災した住民が新たな生活を得られるために施行された政策でした。その目的として次のことがうたわれています。 <災害が発生した地域又は災害危険区域のうち、住民の居住に適当でないと認められる区域内にある住居の集団的移転を促進するため、当該地方公共団体に対し、事業費の一部補助を行い、防災のための集団移転促進事業の円滑な推進を図るものです> これは被災者の意思を反映させるため、「事業の実施には、関係する被災者の事業に対する理解と合意が不可欠」とされています。つまり住民の合意がないと高台移転はできないというもの。しかしそこには落とし穴もありました。宮城県石巻市雄勝地区で「雄勝地区を考える会」を立ち上げた阿部晃成さんは次のように言います。 「高台移転の住民合意はとれています。でも、合意した住民のほとんどは戻りません。私の住んでいた雄勝町の中心地では、およそ630世帯が被災した中、この地区に戻りたいと申請をだしているのは53世帯です。現状において1割以下。しかも完成するのはこれから3年後とか4年後なので 別の生活再建を目指す人も出てくるでしょう」
石巻市雄勝町は震災前の人口は約4300人。そのうちの3000名ほどが津波により被災し、家屋が流出しました。中心市街地である雄勝町雄勝地区にはおよそ630世帯が住んでいましたが、津波によって590世帯ほどの家屋が全壊流出し、死者も100名ほどに上りました。阿部さん自身、被災して雄勝湾を漂流する経験をしています。阿部さんは言います。 「雄勝の復興政策は高台移転と防潮堤建設がセットになっています。水の被った浸水地域は災害危険区域と指定して二度と住宅が建てられない規制をすること。その代わりに住んでいた住民のために山を切り開いて高台を造成して、住宅再建する場合はそこにしてくださいという高台移転事業。そして災害危険区域には住宅はできないけど、商業施設は作れるのでそこを守るための防潮堤建設というわけです」 『宮城県震災復興計画』では、災害に強いまちづくり宮城モデルの構築が掲げられ、具体的な取り組みとして「高台移転、職住分離」「多重防御による大津波対策」が上位に挙げられています。宮城県の復興政策は高台移転と防潮堤建設が二本柱といえるでしょう。雄勝地区はその政策がそのまま当てはまった形になります。 この、ほとんど人が戻らない地域に6.4メートルの防潮堤建設が予定されています。 「住民の9割が出て行かざるを得なくなる復興政策は、復興政策といえるんでしょうか。しかも高台に造成された土地に移転できるのは、震災時に住んでいた被災者だけとなっています。外から新しい人が移住してきたり、震災時に出稼ぎに東京に行って東京に籍があったけど、3年経ってやはり故郷に戻りたいという人は住めない。つまり、雄勝の人口がこれから増えるということも不可能。つまり、被災地としても復興できないというのがいまの雄勝町の現状なのです」