かつては石原慎太郎氏も務めた維新代表 結党12年、曲折と原点回帰で変わった顔ぶれ
■希望の党と連携も…
28年参院選では7議席を獲得し、非改選を含め12議席に。ただローカル色の払拭は常につきまとう課題といえ、直後の同年8月、党名から地域色の濃い「おおさか」を外して「日本維新の会」に変更し、原点回帰した。
松井氏は当時「大阪の改革を全国に広げようと『おおさか維新』で戦った。さらなる党勢拡大のため、日本維新の会とした」と述べたが、維新にとっては「冬の時代」が訪れる。29年衆院選で旧希望の党と連携して失速、公示前を下回る11議席に後退した。
令和2年11月、都構想は2度目の住民投票で否決され、大阪市長だった松井氏は5年春の市長任期満了での政界引退を表明した。岸田文雄政権下で行われた3年衆院選と4年参院選は、第三極としての期待感もあって躍進し、4年の代表選でバトンは馬場伸幸代表に引き継がれた。
■初の衆院選上回れず
馬場氏は5年統一選で首長と地方議員を告示前の1・5倍となる約600人に増やす目標を掲げて有言実行してみせた。同年4月の衆院和歌山1区補欠選挙でも初めて議席を獲得し、党勢拡大に貢献したが、今年10月の衆院選では公示前の43議席から38議席に減らし、責任を取る形で代表選不出馬を決めた。
振り返れば、維新は平成24年の結党以降、過去5回の衆院選で初回の54議席を上回る結果を残していない。新代表には刷新感や期待感に頼らず、全国に支持を広げられる地力を育てることが求められそうだ。