埼玉県行田市を走った馬車鉄道と北武鉄道、北埼玉の興味深い鉄道史
1921(大正10)年4月、ようやく羽生~行田(現・行田市)間が開通した。その後、資金不足から北武鉄道の経営陣は東武鉄道と秩父鉄道に合併を打診。これに応じた秩父鉄道との間で、1922(大正11)年4月に合併の協議(仮契約)が行われた。 こうした経緯から、行田~熊谷間の延長工事の一部は秩父鉄道によって施行され、1922(大正11)年8月に羽生~熊谷間の全線(約14.9km)が開通を果たし、9月に秩父鉄道へ吸収合併された。実際には、合併に先んじて8月から秩父鉄道による営業が行われていたようだが、書類上の日付だけを見れば、全通後わずか1カ月で他社へ合併されたことになる。 その後、1923(大正12)年に秩父セメント(現・秩父太平洋セメント)が創業されると、秩父鉄道は「秩父セメントのライバルであった浅野セメント向けの石灰石輸送を縮小し、秩父セメントのセメント輸送にますます特化」(『埼玉鉄道物語』老川慶喜著)していった。 なお、行田馬車鉄道は北武鉄道開業によって打撃を受け、間もなく廃止された。馬車鉄道の廃止にともない行田自動車へ改組され、自動車貨物運送および乗合自動車事業にシフトしていったのである。 ■行田から足を延ばし、近隣の観光スポットへ 以上、行田馬車鉄道と北武鉄道の歴史を中心に見てきた。北武鉄道の社名に含まれる「武」とは、武蔵国のことであり、現在の埼玉県、東京都、神奈川県横浜市・川崎市の大部分を含む地域の旧国名である。「北武蔵の鉄道」というには、あまりにも小規模で存続期間も短い路線だった。東武鉄道、西武鉄道、JR南武線(創業時は私鉄の南武鉄道)がいまも存続・発展していることを考えると、少し残念な気もする。 ところで、せっかく行田まで来たのならば、近隣の見どころにも足を延ばしてみよう。
鉄道関連であれば、行田駅から大宮の「鉄道博物館」までは意外と近く、JR高崎線とニューシャトル(埼玉新都市交通)で約40分。鉄道廃線跡の散策であれば、本誌でも過去に紹介した東武熊谷線(熊谷~妻沼間)の跡をたどってみることもおすすめしたい(2017年12月1日付記事「東武のディーゼル車『カメ号』が走った熊谷線廃線跡を行く」参照)。 その他にも、鉄道とは関係ないが、平地で埼玉・群馬・栃木の3県が境を接する「三県境」(東武日光線柳生駅下車、徒歩10分)なども一度は訪れてみたいスポットだ。計画を立て、ぜひ有意義な旅行を楽しんでほしい。 ■ 森川天喜 もりかわ あき 旅行・鉄道ジャーナリスト。現在、神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)。2023年10月から、神奈川新聞ウェブ版にて「かながわ鉄道廃線紀行」連載開始
森川天喜