パリ五輪でメダル期待の男子「4×400m」マイルリレー 日本初の快挙に挑む「サムライ」たちの現在地
【単身アメリカに渡って世界トップと練習】 それでも、フィニッシュ後に中島から口をついて出た言葉は、反省ばかりだった。 「今までやってきたことを考えれば、勝つのは当たり前で、普通に走れば44秒は出るよねっていう感覚だった。最後しっかり競り勝ったことは評価できるんですけど、普通の結果だと思います。 昨日からハム(右脚のハムストリングス)の状態がよくなくて、肉離れするリスクもあった。低い気温と雨のなか、無意識に走りを抑えるような感じになってしまった。最初から風雅さんに離されてしまって、追いつくために少しエネルギーを使ってしまった」 コンディションが悪いなかでも、出力を抑え、勝ちきったのはさすがだが、納得のいく走りとはいかなかった。 中島は、貪欲なまでに強さを求めてきた。 昨年11月からは単身でアメリカに渡り、南カリフォルニア大学で1992年バルセロナ五輪・男子400m金メダリストのクインシー・ワッツ氏の指導を受けている。今年4月に富士通に入社して社会人となったあとも、同地を拠点としてトレーニングを積んでいる。 「孤独感もあったし、いろいろな試練はあるが、結果を出したいという気持ちが本当に強い。それだけの覚悟をもって挑戦することは、成長過程で必要だと思っています。文化も言語もまったく違い、かなり苦労したんですけど、いろんな人に支えてもらいながら準備を重ねていくのも面白かった」 こう話すように、自ら厳しい環境に身を置いた。 練習をともにするのは、オレゴン世界選手権・男子400m金メダルのマイケル・ノーマン、東京五輪・男子400mハードル銀メダルのライ・ベンジャミンといった世界のトップ選手たち。日本選手権に向けても、国内のレースには出ずに海外のレースで研鑽を積んできた。 ワッツ氏の指導で、中島は走りも変わってきたという。 「できるだけコンパクトに、脚を(うしろに)流さずに前でさばくことを重点的に指導された。動きの効率が上がったと思います。今まではストライド(歩幅)を大きくする分、ピッチ(回転数)を上げるのに相当エネルギーが必要だったんですけど、ピッチは確実に上がっている。効率的に脚を前に運べるようになり、すごくラクに400mをまとめることができています」 3月下旬に一時帰国した際、中島はこのように話していた。 日本選手権では、44秒台は持ち越しとなったものの、終盤の走りにその片鱗を見せたのではないだろうか。
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