アメリカ人は失笑する⁉️ なぜ日本だけ「クリスマスには、ケンタッキー」なのか? 米兵を通じ12月が「特別な時期」になり、KFCのCMで「七面鳥」の代替品に
クリスマスイブの夕方、ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)の店舗に大行列。見慣れた光景だが、じつは「クリスマス=ケンタッキー」が定番化しているのは日本だけというのをご存知だろうか? クリスマスにターキーではなくチェーン店のフライドチキンを食べることに対し、失笑するアメリカ人も多い。なぜ、日本ではケンタッキーを食べるようになったのだろうか? そもそもなぜ、日本ではクリスマスを祝うのだろうか? ■12月には、アメリカ兵からもらえるお菓子のグレードが上がった 12月25日はクリスマスで、24日はクリスマス・イブ。キリスト教の創始者イエス・キリストの生誕を祝う日ということで、日本でも24日の夜には友人や恋人とプレゼント交換をし、フライドチキンとケーキを食べる習慣が広く普及している。 クリスマスは、イエスの生誕を祝うというキリスト教世界の行事である。ただし、ヨーロッパとアメリカではクリスマス文化にも違いがあり、日本で普及したのは著しく商業化されたアメリカのクリスマス文化だった。 日本で本格的にクリスマスの受容が始まったのは第二次世界大戦後のこと。絶対的な物資の不足に加え、ひたすら我慢を強いられた戦前・戦中への反動もあって、物量を誇るアメリカのすべてが憧れの的になっていた。アメリカ兵が恵んでくれるチョコレートやビスケットに目を輝かせていた子供たちは、配られるお菓子のグレードが上がる12月に特別な感情を抱くようになった。 クリスマスと呼ばれる日の前後、アメリカ本国では家族や友人で集まり、特別な食事を楽しむらしい。七面鳥やハム、特注のケーキ、ジンジャーブレッドハウス(お菓子の家)など、どれ一つ取っても当時の平均的な日本人に手の届くものではなく、実物を知る者も少なかったから、余計に想像と憧れが膨らんだ。 ■七面鳥が手に入らない日本で、クリスマスにフライドチキンを結びつけた いつかは自分たちもアメリカ人と同じような食卓を楽しみたい。高度経済成長期が長く続き、消費文化に散財する金銭的余裕が生まれた1970年代、1970年開催の大阪万博をきっかけに世界への歓心が高まったのを境として、日本人の悲願は現実化し始めた。 ただし、課題がないわけではなく、日本ではまず七面鳥が手に入らないから、代替品を立てなければならない。あくまで鶏肉にこだわるなら、鶏肉の一択になりそうだが、焼き鳥に馴染んでいる日本人に調理法も味付けも異なるメニューが受け入れられるかどうかは別問題だった。 この点に関しては、CNN電子版が報じた『フライドチキンが日本のクリスマスの伝統」になった理由』(2019年12月25日)と題した記事が参考になる。 同記事によれば、家族でクリスマスを祝う習慣があまり普及していない点に勝機を見出したケンタッキー・フライド・チキン(KFC)が、1974年から「クリスマスにはケンタッキー」の宣伝キャンペーンに乗り出し、間もなくパーティバーレルのセットメニューの販売を開始したところ、まんまと図に当たったのだという。 記事には、日本の食事や文化に詳しい米ハーバード大学のテッド・ベスター教授による以下のコメントも取り上げられている。 「当時は米国が文化大国だったので、西洋のファッションや食べ物、海外旅行が絶大な関心を集めた」 「米国で育った人なら誰でも、『ケンタッキーの我が家』がクリスマスソングでないことは知っている」 「それでもこのキャンペーン(『ケンタッキーの我が家』をBGMに、フライドチキンを楽しむ家族のCM)は非常によくできていて、フライドチキンとクリスマスを、そしてクリスマスとぜいたくな料理を消費するというアイデアを結び付けた」 ■「メリークリスマス」は不適切? なお、昨今のアメリカやイギリスでは、ユダヤ人や中東・アジア系異教徒への配慮から、「メリークリスマス」という言葉を耳にすることは少なく、「ハッピーホリデー」か「シーズンズ・グリーティング」が一般化している。 クリスマス商戦は依然として盛んだが、クリスマス文化自体は世相や景気に左右されながら変化を重ねる。それこそ、商業化の進んだクリスマスの宿命だろう。
島崎 晋