今なら成瀬がついてくる! 宮島未奈『成瀬は信じた道をいく』(レビュー)
林雄司・評「今なら成瀬がついてくる!」
読み終えるのがもったいない本だった。読みたい、でも読むと終わってしまうという葛藤を感じながら一日で読んでしまった。 この小説の魅力はなんといっても主人公である成瀬あかりの圧倒的な存在感だろう。 うまいこと喩えたいのだが、あまりにこれまでに読んだことがない物語なのでいい喩えが見つからない。 強いて言えば、大津に天まで届く巨大な柱が現れて、周囲の人が戸惑う物語ではないかと思う。ほら、全くうまく喩えられていない。 マンションのチラシの完成予想図のような光り輝く柱ではなく、もっとゴリゴリに堅そうな鋼の柱だ。 成瀬あかりは常にかっこいい。最初の作品「ときめきっ子タイム」では「いかにもわたしが成瀬あかりだ」と言って登場する。そんな元寇に対峙した鎌倉時代の武士のような女子高生いるかね。 でも、成瀬がとる行動は常にストレートなのでそんないざ鎌倉みたいな口調にも違和感はない。 郷土愛、防犯、人助け……どの行動もストレートでまっとうである。だけど、事前にへんな資料で勉強してしまった宇宙人のようにパワフルでおかしい。 そしてこの本のもうひとつの魅力は、成瀬あかりを取り巻く人たちの弱さだ。 成瀬ファンの小学生、父親、主婦……、どれもくよくよしている。鋼のような成瀬とは真逆の柔らかい存在だ。 特に「ときめきっ子タイム」の北川みらいの心情は、忘れかけていた小学生の頃の不安な気持ちが描かれていて胸がざわざわした。 仲がいい人を目の前にしたときの仲間はずれになったかのような錯覚、転校して友人がいなくなったのに世界が続く不安、知らない人に電話をかけることへの緊張感。作者の宮島さんはよくこんな感情を覚えていたと思う。ありがとうございます! そして父親も弱い。成瀬慶彦というロッテの元エースと広島の元スター選手をくっつけた名前にニヤリとしたが、村上龍が小説『走れ! タカハシ』で描いたような高橋慶彦らしさはまったくない。 その弱い人たちが町に現れた鋼鉄の柱に恐る恐る触れていく。その堅さや唐突さに驚いたりしつつも、無視するわけにはいかない。前作でテレビに映り込んでいたころは直径の細い棒だったが、どんどん大きな存在になっていよいよ琵琶湖を覆い尽くそうとしている。そんなスピルバーグの映画なかったっけ。そう思って検索したが、なかった。でも本作品は日常に現れた違和感スペクタクルだと思う。 とても読みやすい小説をむしろ分かりにくく説明しているような気もする。 だが、成瀬を見習ってためらわずに続ける。 その鋼と柔らかいものがぶつかったときの笑いがとても愛おしいのだ。一発ギャグのような単独の笑いではなく、関係性の笑いだ。 誰もふざけていないのにコントになってしまうことがあるだろう。大人だったら法事や会社の会議で経験があるはずだ。イベントを開催したとき、ホワイトボードを貸してくれと担当者に頼んだら、伝言ゲームで間違って伝わってベニヤの板が届けられたりとか。「頼まれた板です!」とハンサムな若者がボロボロの板を笑顔で持ってきたときのストップモーションのような感覚。 本作に詰まっているのはこういう真空状態だ。「なんだったんだ、あれは?」と長く思い出し笑いができる宝石が詰まっている。 いちばん変な声が出たのは成瀬がくじの結果をコントロールしているという発言をするシーンだ。ついに人知を超えた能力を発揮し始めた。 そんなことあるかよと思いつつも成瀬だったらできるかもしれない……と納得してしまう。そう考えている時点で、僕は読者ではなくきっちり物語に参加してしまっている。 そう、本作品を読むと成瀬だったらできるかもしれない、こう言うだろうと考えていることに気づく。読後に心のなかに成瀬あかりが住み着くのがなんといってもこの作品の最大の特典だと思う。 スマホゲームのCM風にいえば「いまなら成瀬がついてくる!」なんだけど、この喩えはまた安っぽくてうまくないですね。でも成瀬なら「そういうものか」と言ってくれると思う。 [レビュアー]林雄司(デイリーポータルZウェブマスター) 協力:新潮社 新潮社 波 Book Bang編集部 新潮社
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