市区町村の4割超が消滅する時代、消えゆくコミュニティに私たちは何ができるのか?
(篠原 匡:編集者・ジャーナリスト、蛙企画代表) 超高齢化と人口減少の時代に突入している日本にとって、僻地の集落が衰退し、消えていくのは、もはや避けられないことだ。 【写真】出羽島の住民が使っているネコ車。自動車が一台もない出羽島では、住民はネコ車を使って荷物を運んでいた。こうして見ると、なかなかカワイイ もっとも、消えゆくコミュニティであっても、そこで暮らす人々の営みがあり、長年、堆積した時間の“地層”がある。 それは、出羽島(てばじま)でも同じだ。 出羽島とは、徳島県牟岐(むぎ)町の対岸にぽっかりと浮かぶ小さな島。ゾウリムシのような形をしており、牟岐港から連絡船に乗れば、15分ほどで辿り着く。島の外周は約3キロ。数年前の台風で島を回る遊歩道の一部が崩落したが、1時間もあれば、島をぐるっと一周できる。 島の大半はこんもりとした小さな丘で、北側に開けた港の周囲に100軒ほどの木造住居がひしめき合っている。戦前戦後の一時期は、この小さな島に1000人以上が暮らしていたという。
■ 出羽島に特有の建築様式 この島には、島独自の暮らしや景観が遺されている。 例えば「ネコ車」と呼ばれる手押し車。最近は自転車を押す住民も増えているが、かつて島の人々は荷物の運搬にネコ車を利用していた。今も島を歩けば、それぞれの家の軒下には自作のネコ車が置かれている。 「重伝建」の町並みも出羽島特有のものだ。 出羽島に人が住むようになったのは江戸時代後期。その後、明治から大正にかけて町家風の漁師小屋が建ち並ぶ独特の景観が形成された。 その建物には、土庇(どびさし)やミセ、出格子、炊事場に続く通り土間など、四国南東部に特有の建築様式が見て取れる。 ミセは折りたたみ式の雨戸で、上ミセをあげると庇に、下ミセを下げると縁台になる。通り土間も、漁師が長靴を履いたまま炊事場に行けるように造られたものだ。 こうした出羽島の町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)にも選ばれている。 ただ、そんな出羽島も、今は静かに朽ちようとしている。