奥田瑛二、「監督の“OK”は何点?」の答え “命がけ”で歩んできた俳優人生
――そのころにはすでに準備万端ですね。 「嫌です」って言ったんです。 ――「嫌です」?(笑) それでも頼むからと言われて、「しょうがないですね」って裏千家の本家に近い方のお屋敷に行ったんです。そこで「実家が愛知県で茶碗は作ってましたが、お茶は母親が趣味でやっていたくらいです。まず通しで1度やらせてください」と言ったら、先生もみんなもビックリしながら「じゃあ、とりあえず」ということになったんです。それで一緒にいらした(共演者の)「萬屋(錦之介)さんがお客ということで」と始めたら、先生が「奥田さん、もう続けなくていいです。ありがとうございました」と。 ――(苦笑)。すぐに出来ると分かったんですね。 それくらい熊井監督の撮る作品の重さというのがあったんです。命がけでやらないと。周りには三船敏郎さんや萬屋さんといった、そうそうたるメンバーがいらっしゃって、若造の僕がダメなら作品が終わりですから。熊井監督の作品で教養課程をみっちり過ごしました。
高校3年で「故郷を捨てます!」その決意があって今ここにいる
■監督作『長い散歩』は「誰も見たことのない緒形拳」を撮るため ――なるほど。『かくしごと』では児童虐待について描かれますが、奥田さんの監督作『長い散歩』(06年)でも児童虐待が描かれていました。主演の緒形拳さんは、「ぜひ!」と奥田さんがオファーされたそうですね。 百戦錬磨、鍛えに鍛え抜かれた大スターとして君臨していた人です。そんな緒形拳というすごい俳優を「日本の映画界は60歳を過ぎると、なぜ一番ケツ(止め)や、2番手に回してしまうんだ」と憤ってたんです。海外ではアンソニー・ホプキンスとか、みんなまだ主役をやってますよね。それが日本では少ない。この人をいま主役に撮ったらすごいのに! と思っていたら、コーヒーのCMでご一緒する機会がありまして。休憩時間にお話する顔を見ていたら「よし、それなら自分が1本撮ろう」と。11月の明け方4時くらいに千葉の山奥で撮影が終わって、そこから車で帰る3時間で『長い散歩』のストーリーが出来上がったんです。