波乱要素が大きすぎる…「国体護持派も恐れた」国鉄分割のMVP・葛西敬之に対する「過剰すぎる」反応
国体護持派も葛西を恐れた
国体護持派としては三人組をこのまま第二臨調や国鉄再建小委員会の三塚のそばにおいておけない。反撃に出たその手段は社内人事だった。当時井手は総裁室秘書課長、松田は経営計画室筆頭主幹、葛西は職員局職員課長として工作を仕掛けていたが、国鉄主流派の元副総裁、縄田国武が84年から85年にかけ、三人組の長男格である井手と次男格の松田を異動させるのである。 一方、縄田には国鉄で経理局長として部下の葛西に目をかけてきた時期もあった。そのせいか、他の二人とは扱いを変えている。JR東海初代社長の須田がこう言葉を加える。 「縄田さんも葛西氏の能力を認めていたし、改革と異なる意味において職員局の職員課長として葛西氏を使いたかったのでしょう。また、葛西氏は目下の者に人気がありましたので、社内には彼の支持者がたくさんいました。たとえばのちにJR東海の社長になった松本(正之)氏や山田(佳臣)氏、彼らは葛西氏とずっと一緒にやってきました。葛西職員課長に山田総括課長補佐という関係で、山田氏は葛西氏の五つ下です。だから、やっぱり彼を飛ばすと、波乱要素が大きすぎると考えたんでしょうね。反乱を起こされるより、本社に置いておいて監視をしたほうがいいと考えた」
葛西への監視体制
ちなみに松本は職員局能力開発課長として腕を振るい、民営化後のJR東海で葛西の後継社長となる。さらにのちに葛西の肝煎りでNHKの会長を拝命する。須田が続ける。 「井手さんは東京西鉄道管理局長として本社から出され、松田さんは北海道総局の総合企画部長に出されました。ところが、このとき葛西氏だけは動かなかったんです。というより、動かせなかったんだと思います。そうでなければ何をやるのか、怖い。実際、後で彼の書いたものを読みますと、葛西氏は絶えず行動を監視されていたと言っています。それで彼は職員局次長となり、最後まで動かずに分割民営化を手掛けていくことができたのです」 もっとも三人組のうち葛西だけが異動しなかった理由は、別のところにあるように思えてならない。 『政界を揺らす転機! …闇将軍・田中角栄を破った意外な人物による「最悪の裏切り」』へ続く
森 功(ジャーナリスト)