波乱要素が大きすぎる…「国体護持派も恐れた」国鉄分割のMVP・葛西敬之に対する「過剰すぎる」反応
安倍元首相が国士と賞賛した葛西敬之が死の床についた。政界と密接に関わり、国鉄の民営化や晩年ではリニア事業の推進に心血を注ぎ、日本のインフラに貢献してきた。また、安倍を初めとする政治家たちと親交を深め、10年以上も中心となって日本を「事実上」動かしてきた。 【漫画】「しすぎたらバカになるぞ」…性的虐待を受けた女性の「すべてが壊れた日」 本連載では、類まれなる愛国者であった葛西敬之の生涯を振り返り、日本を裏で操ってきたフィクサーの知られざる素顔を『国商』(森功著)から一部抜粋して紹介する。 『国商』連載第19回 『新幹線での密会…国鉄分割を推進・葛西敬之を支えたのは「幸福の科学と癒着」していた「自民党」の裏切者』より続く
国鉄再建監理委員会にちらつく影
一方、政府の再建監理委員会はむろん葛西たちが肩入れしてきた自民党の三塚委員会とは別組織だ。表向き合同の会議も人事交流もなかった。だが、実際は連動していた。 政府の国鉄再建監理委員会には、委員長の亀井正夫や委員長代理の加藤寛のサポート役として運輸省の官僚が配属された。鉄道管理局国鉄部長の林淳司が事務局次長となって事務方を束ね、黒野匡彦がその部下の課長に就いた。二人はともにのちに運輸事務次官となる。この国鉄再建監理委員会にも瀬島の影がちらついた。
葛西の評価
国鉄再建監理委員会は、国家行政組織法第八条に規定されている政府組織だった。内閣府設置法に基づいて内閣総理大臣が諮る経済財政諮問会議に似た組織であり、八条委員会と呼ばれる。第二臨調の委員である瀬島龍三は、この国鉄再建監理委員会をより独立性が高く、権限の強い行政組織法第三条に基づく三条委員会とするよう主張した。目的は臨調の第三部会長だった亀井や第四部会長の加藤が中心となって分割民営化を進めやすくするためだ。 だが、国鉄再建監理委員会は自民党運輸族議員や国鉄経営陣、さらに運輸省の反対によって八条委員会にとどめられた。国鉄や運輸省の主流がこの時点でもなお分割に反対し、出口論を唱えていたからだ。運輸省の大勢は国鉄の分割民営化に慎重であり、国鉄再建監理委員会に出向となった林と黒野は、臨調の亀井や加藤の目付け役として送り込まれたかのように見られた。葛西にとって東大法学部の1年後輩にあたる黒野は、行政官として国鉄の分割民営化に立ち会った。その黒野が言う。 「私が初めに葛西さんと接触したのは83(昭和58)年頃、大学の頃は葛西さんを知りませんでしたが、国鉄再建監理委員会の事務局に入ってからです。そのとき葛西さんは国鉄の職員課長だったと思います。私も課長クラスでしたので、要するに国鉄と役所の課長同士という関係から、付き合いが始まり、かれこれ40年ぐらいになります」 運輸省の林と黒野の二人はある意味、異なる立場で三人組とともに分割民営化を進めていったといえる。黒野は三人組のなかでもとりわけ葛西を評価する。 「国鉄がもはや民営化しかないっていうところは完全に方向が決まっていました。そこはわれわれも完全に一致していました。改革三人組はみな優秀な方ばかりで、井手さんにしろ、松田さんにしろ、それぞれすばらしい。ですが、仮に三人のなかでこの人を抜いたら国鉄改革ができなかった、という一人を挙げるとするなら、それは葛西さんでしょうね」