東京23区私大抑制策に足立区反発 力を入れてきた大学誘致どうなるのか
「地域の活気が失われる」少子化進行、学校跡地議論がきっかけ
そうした事情もあって、足立区には大学がない状態が続きました。2002年、工場等制限法が廃止されます。この時点では、まだ足立区は大学誘致にそれほど熱心ではありませんでした。 足立区が積極的に大学誘致を取り組むようになるのは、2004年前後からです。区議会内に大学等誘致促進議員連盟が発足したことも一因ですが、それ以上に大きな要因となったのが足立区内に静かに進行していた少子化です。子供の数が減少したことで、足立区内の小中学校は統廃合が進められることになったのです。 「小中学校は単なる学校施設というだけではなく、地域住民にとってコミュニティを形成する存在でもあり、地域のランドマークのような存在でもあります。統廃合によって小中学校がなくなれば、地域から活気が失われてしまい、衰退も懸念されました。そのため、跡地をどう活用するのかを議論し、大学を誘致する方針が決められたのです」 この方針に基づいて、先述した東京藝術大学の誘致にこぎ着けます。翌年には、東京未来大学も第2中学校跡地にキャンパスを開設しています。
地域や区民と連携・交流する大学に来てほしい
2007年、新たに近藤やよい区長が就任。近藤区長は区政の最優先課題に教育政策の充実を表明していました。区長が強力に推進したこともあり、足立区の大学誘致政策はさらに加速します。 2010年には元宿小学校跡地に帝京科学大学千住キャンパスが、2012年には東京電機大学東京千住キャンパスが開設されたのです。次々と大学を誘致している足立区ですが、足立区は大学が移転してくればいいという方針にはしていません。 「誘致する大学のネームバリューにはこだわっていませんが、学校は地域の財産であるという方針がありますから、地域や区民と連携・交流してくれる大学に来てほしいと考えています。例えば、東京藝術大学は演奏会の練習を区民に公開していますし、帝京科学大学は区内の小学校を対象に動物教室を開校しています。こうした区民との連携・交流を足立区は重視しています」(同) 2021年4月には、さらに文教大学がキャンパスの開設を予定しています。たくさんの大学が移転してくるようになったのは、ひとえに足立区が長年にわたって地道に大学誘致に取り組んできたからだといえます。 東京一極集中の緩和や地方創生が、重要な政策であることに間違いありません。均衡のとれた国土の発展のため、地方にも大学が必要だという意見にも異論はないでしょう。 しかし、降って湧いた23区内の大学の新増設および定員増の抑制は、足立区の積み上げてきた努力を無にする恐れがあるのです。 小川裕夫=フリーランスライター