「星になった娘に『頑張ったよ』と言えれば」白血病で急死した9歳の娘から母が授かった「新しい使命」
病気と闘う長期入院は、子ども本人だけではなく、親子入院が当たり前になっており、それに付き添う大人も、そして、そのきょうだいも疲弊する。 「コロナ禍で、病棟に出入りしてくれているボランティアさんも来られなくなり、外泊は禁止。ただでさえ制限の多い状況から、さらに厳しい制限のある生活となりました。子どもも大人も、徐々に心に余裕がなくなり、気がつけば、笑うことさえ少なくなっていった気がします」 そこで助けられたのが、チャイルドライフスペシャリストとして活動する佐々木美和さんの存在だったと話す。 チャイルドライフスペシャリスト、略してCLSは、入院している子どもやその家族を支援する専門家で、日本ではまだまだ知られていないが、アメリカのこども病院では、20~30人ものCLSが働いているほど、重要なポジションの仕事と位置付けられている。 「佐々木さんは子どもの気持ちをきっちりと医者に代弁してくれるんです。痛い、いやだっていう気持ちをお医者さんに伝えてくれて、そして、本人に寄り添って声をかけてくれる。注射や検査って、痛くて恐い。でも、寄り添ってもらえたら、それだけで気持ちが楽になるじゃないですか。 骨髄の検査を、治療が1クール終わるたびにしないといけなくて、これが本当に本人にとっても家族にとっても負担なんです。親は検査に入れないのですが、佐々木さんは入ることができるので、佐知も私も本当に安心できる存在でした。骨髄検査の日程がわかり次第、毎回佐々木さんの予定を確認するほどでしたね」 ’19年5月、骨髄移植は無事に成功し、晴れて退院となり、小学校に通えるまでになった佐知さん。 「当時はよかったという安堵の気持ちが大きかったですね。これでもう再発の心配もなく明るい未来があると信じていました。佐知も1年生の10月からの登校でしたが、本当にうれしそうで。髪は脱毛していたのですが、本人もそれを恥じることなく、また、お友達も普通に接してくれて、良かったなって。それだけでした」 しかし、約半年後、骨髄移植の合併症で、’20年1月、4度目の入院となる。この頃には家族全員が疲弊し、困窮を極めていた。 「佐知が大変なのは理解しているのですが、これで家族が崩壊しましたね。佐知の3歳上の兄が当時、受験を控えていたのですが、夫は仕事がありますから、フォローするのも限界がありました。夏から私の姉がお家に泊まり込みできてくれて、家事全般をやってくれました。 それでも、佐知の状態が徐々に悪化していく姿に、それぞれ心の余裕がなくなり、主人と息子が殴り合いのけんかをしたり、もう学校も受験もやりたくないと言い出したりと、穏やかでいられない日々を過ごしていました。 そんな時、佐々木さんの存在は本当に大きくて、家族には話せない、つらい気持ちを聞いてくれる。それも、雰囲気で佐々木さんが察知してちゃんと来てくれて、寄り添ってくれました」 数ヵ月後、薬を減らし、外来で様子を見られる段階まできていた佐知ちゃんだったが、念のためにした骨髄検査で再発が発覚。安藤さんは、当時の気持ちをこう吐露する。 「すべてが終わったと思いました。再発を防ぐために骨髄移植をしたのに、その骨髄移植の合併症で肺を壊して入院しているのに、なんで再発したのか、骨髄移植をしなければよかったのか、私たちの骨髄移植をした判断が間違っていたのかなど一気に感情が押し寄せました。心の鏡が粉々に壊れました。 もう前に進めない、頑張れないと思いました。いままで、元気になったらね、退院したらねと、佐知がやりたいことを後回しにしてしまった自分を責めました。佐知の大切な時間を私が奪ってしまったと感じ、佐知に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。ごめんなさい、ごめんなさいと心の中でなんども叫びました。そりゃ泣きましたよ。なんでこんなに頑張ってるのにって。でも、佐知のほうから『ママ、また頑張ろう』って言ってくれて」