「母親なのに、ひきこもりやがって」優しかったはずの夫がなぜ…48歳主婦に訪れた悲劇と不登校になった子どもが気づかせてくれた“本当の自分”
子どもの不登校を機に動き出す
ひきこもり状態から脱したきっかけは、娘の不登校だった。小3の夏休み明けから、月曜日になるとお腹が痛いと言ったり、吐いたり。どんな気持ちか聞いても、泣きながら「わからない」とくり返すのを聞いて、娘にこう声をかけた。 「学校に行くのをやめようか」 野中さんは毎週のように学校に行って教師と話した。教育相談センターのカウンセラーにも相談。学校に行かないことで罪悪感を持たないよう、授業と同じ内容を家で教え、給食に似たメニューの昼食を作り、放課後は外に連れて行ったという。 「私のような生きづらさを感じないよう、何とかしてあげたい一心でしたね」 4年生から登校できるようになり、ほっとしたのもつかの間、頑張り過ぎた疲れもあったのか、野中さんのほうがまたバランスを崩してしまう。前回とは違い、興奮することもなく、冷静に「病院には入りたくない」と言ったが、夫は聞いてくれなかった。 「暴れてもいないし、自殺の恐れがあったわけでもないのに拘束されたんです。そのときは正気だっただけに、本当にしんどくて。人としての尊厳がそこなわれ過ぎて、自尊心も何もなくなるし。怒りとかじゃなくて、ひたすら悲しくて……」 退院後はまた家にひきこもった。体調には波があり、調子がいいときは息子の野球の送迎もできたが、起き上がれないときはママ友が手伝ってくれた。いつもは夫が出かけたら寝るようにしていたのだが、ある日、しんどくて夫がいても寝ていたら吐き捨てるように言われた。 「アピールすんなよ」
同じ気質を持つ人たちとの出会い
このときも動き出すことができたのは、やっぱり子どものためだ。 今度は下の息子が小3の夏休み明けに学校に行けなくなってしまったのだ。息子は社交的で活発だけど、感受性が強く繊細なところもある。その少し前に書店で、『大人になっても傷つきやすいあなたへの……』と書いてある本を見つけ、「私のことじゃん!」と思って読み、自分も息子もHSP(Highly Sensitive Person)に違いないと確信した。 HSPの情報を学校側にも正しく伝えるため、野中さんはHSPとは何かを学ぶ講座に通うことにした。知らない場所に行くのは怖かったが、好きな香りのアロマをお守りのように持ち、眼鏡をかけスカーフを巻いて身体をガードして、やっとの思いで電車に乗って出かけたそうだ。 「私の場合、1人で頑張り過ぎて、バンって弾けちゃって病院に連れていかれることになった。でも、精神科で医療行為を受けたことが、自分にとっては心の安心にはつながらず、逆にしんどさが増してしまった。薬を飲むとかえって具合が悪くなったし、なんで拘束されなきゃいけなかったんだと今でも疑問に思っています。 だから、息子が安心できる生活が一番いいんだろうなと思って。ある意味、自分がしてほしかったことを、息子と一緒に探した感じですね。登校するかしないか自分で選んでいいよと伝えて、3年間さみだれ登校をしましたが、中学に入ってからは毎日登校しています」 HSPの会にも参加して、同じような気質を持つ人たちの話をたくさん聞いたことで、自分のことも外側から客観的に見ることができた。 「そもそも人は皆違っていていい。人と違っていても共感してもらえるんだと知った。精神疾患の人と暮らす大変さもいろいろ聞いたから、自分のときも仕方なかったのかなと、だいぶ思えるようになりましたね」
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