「冷めたユーモアや、力の抜けた笑いの感覚と……」谷中敦が奥田民生と意気投合した“もう一つの理由”
「お前は背が高いし、インチキな2枚目っぽいところが面白いから、そういう感じでいけ」
――89年にデビューした東京スカパラダイスオーケストラは、93年にバンドの創始者だったASA-CHANGが脱退して、94年にフロントマンのクリーンヘッド・ギムラさんが中心となったアルバム『FANTASIA』をリリースします。谷中さん自身はこの時期にどんなことを考えていましたか? 谷中 とにかく一生懸命でしたね。夢中でやっていた時期です。クリーンヘッド・ギムラさんがいろいろアイデアを出してくれて、「お前は背が高いし、インチキな2枚目っぽいところが面白いから、そういう感じでいけ」って(笑)。みんなが面白がってくれるキャラクターをギムラさんが考えてくれて、それをなんとか形にしようとしていた時期だったと思います。 自分は基本的に真面目なので――誰でも自分のことを真面目だって言うはずですけど(笑)――そのキャラクターを真面目に演じていこうと思っていました。そうしたら演じている間に、だんだん境目がわからなくなっていって。 ――そして現在に至る、といった感じなんですね。 谷中 「なりたい自分を意識すると近づけるんだ」って、ギムラさんがよく言ってたんです。ギムラさん自身も、初めて会ったころはイタリア製のスーツを着た怪しい遊び人風でしたけど、次第に変化していったので。いま思うと、ギムラさんがそうやって考えてくれたおかげで、それなりにしっかりできるようになったのかもしれないです。 それが93、94年くらいの時期ですよね。その後、95年にギムラさんが亡くなったり、99年にドラムの青木達之が亡くなったりして、自分自身でもっと考えて動いていかないといけないなと。自分ひとりの力で立って、バンドを動かしていかなきゃいけないと思うようになるわけです。途中から歌詞を書くようにもなりましたし。 ――谷中さんが歌詞を書き出したことで、男性ボーカルをフィーチャーした“歌ものシングル3部作”が生まれました。田島貴男さんが参加した「めくれたオレンジ」(2001)、チバユウスケさんが参加した「カナリヤ鳴く空」(2001)、そして民生さんが参加した「美しく燃える森」(2002)です。 谷中 実は95年にも豪華なゲストボーカルとコラボレーションした『GRAND PRIX』というアルバムをリリースしたんです。でも反響はあまりありませんでしたね。当時はまだコラボレーションというスタイルが理解されなかったのかもしれません。だから気合いを入れて作ったわりに、それほど話題にならなかったイメージがあって。 でも2000年頃、ヨーロッパ各国を毎日のように回る冬のヨーロッパツアーを行って、手応えをすごくつかんだんです。インストバンドとして、どんな場所でもオーディエンスを盛り上げられるなって。そこでもう1回、誰かとコラボレーションしてみようかという気持ちが生まれて、「谷中が歌詞を書いたら?」ってなったんですよね。『GRAND PRIX』はカバー曲も多かったので、今度は自分たちの楽曲を聴いてもらおうと。