『光る君へ』史実との違いに賛否の声も「気にせずに突っ走っていただきたいです」山崎ナオコーラさん語る
“リアル“を求めるのと“リアリティ“を求めるのは違う
――貴族の男女が簡単に顔を合わせたり、まひろが朝廷の中枢にいる摂政・藤原兼家(段田安則)に直接会いに行くといった、当時の文化ではありえない描写はどうお感じになりますか? 史実にもとづいて現代的解釈をおこなう“歴史もの”(ドラマ、小説問わず)を制作する際に求められることはどのようなことだとお考えになるでしょうか? <研究者はいろいろ思うこともあるかもしれませんが、私は作家ということもあり、リアルを求めていません。私自身、作品制作に関して、「“リアル“を求めるのと“リアリティ“を求めるのは違う」っていつも思っているんです。小説でも、リアルにはありえないようなセリフ回しにすることで、むしろリアリティを高めることがあります。 大河だって、もしもリアルだけを求めるなら、平安時代は声の出し方も違っていたと研究界隈では言われていますから発声方法を変えないといけないし、眉毛のないリアルな化粧にしなければなりませんし、階級表現も差別表現ももっと激しく陰惨な気持ち悪いものにしなくてはなりません。でもそうしたら観ている人は心が惹かれず、登場人物の人間味を汲み取れず、結果、リアリティは失われると思うんです。 大河ドラマは、研究シーンとは違う社会的使命を負っているのですから、リアルではなく、リアリティを求めるので良いと思います>
90歳の読者もいる雑誌で「ルッキズム」をテーマにしたら
――昨年、出版された『ミライの源氏物語』が大評判です。もともと茶道の雑誌への連載だったとか。 <そうなんです。最初は毎月、現代語訳の訳者をひとりひとり取り上げて書いていくのはどうかというご依頼でした。ただ、考えていくうち、自分らしい仕事というか、現代社会の中で、『源氏物語』をどう読むかといったほうが良い仕事ができるかも、と思ったんです。 ただ読者には90歳のお茶の先生もいらっしゃる。『ルッキズム』『ホモソーシャル』『トロフィーワイフ』といったことをテーマにしたエッセイとなると、“え?”となるかもしれないから、丁寧に書いて怒られないようにしようと頑張りました(笑)> ――実際には、怒られるどころか、年配の読者の方々にも好評だったと聞いています。 <意外に怒られないんだなと思いました。むしろ“私もそう思っていた”という感想が結構ありました。ご高齢の方でも、『源氏物語』の中に“あれ?”と思うことがずっとあったみたいなんです。言葉にしなくてもずっとモヤモヤを抱えていたと>