オリンピックを今夏に控えたパリ装飾芸術美術館で、ファッションとスポーツの特別展を巡る
スポーツの発達が衣服にも影響を与えた
現代のスポーツにつながるさまざまなアクティビティは、元は実用的な鍛錬だったものも多い。乗馬、ハンティング、アーチェリー、フェンシングなどがそれだ。それらが最終的にはスポーツ、そして実用的なものから競技会の種目になった。まず、それらの展示が展開されている。
18世紀および19世紀において、乗馬などのアクティビティは、装いに一つのパラドックスを抱えたそうだ。エレガントでありつつも、汚れに強く、より動きに適したものが求められたからだ。素材は、それまでの絹からウールや綿に代わった。19世紀にはハンティング用に防水加工のツイードが用いられるようになったが、これは大きな流行になったという。 服装にも、各アクティビティに特化した工夫が施された。たとえば、女性用の乗馬服であるアマゾーヌ。かつて女性は、乗馬に際して男性のように馬をまたいで乗ることが良しとされず、横乗り(サイドサドル)とされた。そのために裾が長く乗馬の際にも足が隠れる乗馬服が考案された。 19世紀のスポーツ萌芽期に、主導的な役割を担ったのがイングランドである。イングランドのパブリックスクール(良家の子弟が通う私立学校)において、サッカーやラグビーなどのスポーツが教育の一環として生まれ、取り入れられていた。それらスポーツを行う上で、フィールド上でチーム・スピリットを高めるものとして、ジャージーが着用された。
次第に融合していったスポーツとファッション
1896年のアテネ大会を第1回として、近代オリンピックが始まって以降、アスリートのプロ化が少しずつ進行すると共に、より性能の良い装いをすることが、勝利や記録にとって重要になってきた。競技に勝つことができ、試合の前後で体を温めることができる装いである。 そして1920年代以降は、ファッションデザイナーが各スポーツに特化したスポーツウエアを作り出し始め、ファッションマガジンが、さまざまなスポーツウエアやスポーツ・アクティビティの記事により、埋められるようになってきた時期でもあるという。 シャネルによるライトウエイトニットは、動きやすさを考えた大胆な裁断と日常着としての軽さを備えていた。そして多くの主要メゾンはスポーツ部門を作った。たとえばジャンヌ・ランバンは1923年に、ジャン・パトゥは1925年にスポーツ部門を立ち上げ、若者たちの購買意欲を刺激した。