多忙な人が気づくべき「怠けてはいけない」のウソ 思い込まされている価値観は本当に正しいのか
オーバーワークの常態化、燃え尽き症候群・うつ病、スマホ疲れ・SNS疲れ、格差の拡大と競争社会の激化……。日常的に疲労を感じる人が増える中、アメリカの社会心理学者デヴォン・プライス氏は「そんなに働かなくていい」「むしろ怠惰であるほうがいい」と語ります。しかし多くの人は「怠ける」ことに後ろめたさを感じるのではないでしょうか。デヴォン・プライス氏の著書『「怠惰」なんて存在しない 終わりなき生産性競争から抜け出すための幸福論』から一部を抜粋し、お届けします。 【画像】なぜ「休む」ことに罪悪感を感じてしまうのか?
■「働き蜂」のように動き回った 生産性の高い人だ、と私は褒められてきた。 周りからは、いつも「働き蜂」みたいに動き回っている、勤勉なしっかり者に見えていただろう。けれど、その代償は大きかった。 仕事で業績を上げ、執筆活動や社会運動にも熱心に取り組み、周囲の期待に応えられるよう、いつもバランスを取ってきた。締切を破ったことはなかったし、行くと言ったイベントには必ず顔を出した。 就職活動中の友人がいれば応募書類の推敲を手伝い、人権侵害について議員に連絡する人には精神面のサポートをした。
そうやって「活動的で頼りになる人」という外面を保ってきたけれど、私の内面はボロボロだった。本を読む気力もないほど疲れ果て、刺激を避けて暗い部屋で独りで過ごした。頼みを断れず抱え込んだのは自分なのに、頼ってきた相手を恨んだりもした。 活動範囲を広げすぎてちぎれそうになっても、身体を引きずってタスクを次々と片付けていた。エネルギー不足で動けなくなって「怠惰」になる自分は許せなかったのだ。 私のような人は多い。
「上司の期待を裏切れない」といつも残業を引き受けて長時間労働をしている人。友達やパートナー、家族の相談相手やお世話係として24時間いつでも頼られている人。さまざまな社会問題に関心があっても時間が足りなくて、活動に満足に参加できず罪悪感を持っている人。 こういうタイプの人は、起きている時間すべてをアクティブな活動で埋めようとする。長時間労働のあとにスマートフォンのアプリでスペイン語学習をする、オンライン学習サイトでプログラミング習得を目指す、などだ。