「1年探しても見つからず」「面接20社めでやっと」落選議員より厳しい? 秘書たちの知られざる再就職事情
いま、東京・永田町の衆議院議員会館は、夜遅くまで各部屋の明かりが灯っている。10月27日の衆院選で落選した議員の部屋で、引越し作業がおこなわれているのだ。 【写真あり】丸川珠代氏、議会中にぐっすり写真 「選挙に負ければ、事務局から容赦なく『早急に部屋を空けてください』といわれますから、大急ぎで荷造りをします。議員生活が長ければ長いほど、資料などが多くなるのでたいへんです。選挙後は、議員会館の廊下にゴミの山ができます」 こう苦笑を漏らすのは、ある自民党議員だ。そして数日後には「初当選議員」や「返り咲き議員」が入ってくることになる。 しかし、落選でたいへんなのは「引越し」だけではない。永田町では、落選した議員の秘書たちが、寝る間も惜しんで“再就職先”を探している。自民党や民主党(当時)で事務局勤務の経験がある、政治アナリストの伊藤惇夫氏は、秘書の再就職についてこう語る。 「議員は落選すれば収入が限られますから、秘書は公設、私設を問わず失業することがほとんどです。 失業した秘書には、党の事務局が、当選したばかりで秘書がいない新人議員や秘書を募集しているほかの議員を紹介したりしますが、『もれなく全員に』というわけにはいきません。しかも、これは永田町で勤務している秘書に関してで、議員の地元で働いている秘書にまで手が回りません。ですから、そうした秘書は再就職探しがたいへんです」 伊藤氏によれば「ベテラン秘書のほうが、再就職先の議員事務所を見つけやすい」そうだ。 実際、雇い主である議員が落選した経験がある、元秘書たちに話を聞いた。 大学卒業後に「オヤジ(国会議員)の秘書になれば県議会議員くらいにはなれるだろう」と、出身地選出の「実力派」といわれる自民党議員の事務所の門をたたき、私設秘書に採用されたA氏(男性)はこう語る。 「政策立案とは無縁の、カバン持ちのような秘書で、年収は250万円ほどでしたが、衣食住はタダなので、生活には困りませんでした。しかし、3年後にスキャンダルでオヤジが落選。野に放り出されてしまいました。 横のつながりで『うちの事務所にこいよ。口を利いてやる』と同年代の秘書が言ってくれましたが、カバン持ちの身では、話は先に進みませんでした。 1年くらい永田町で秘書業を探しましたが見つからず、最後は親から『帰ってこい』と言われ、地元の親戚を頼って倉庫管理の仕事をもらいました。政策秘書だったら秘書の仕事は続けられたでしょうね」 出版社勤務から自民党議員秘書になったBさん(女性)は「先生の愛人密会の場所をセッティングまでする、滅私奉公の秘書でした」と苦笑する。 「議員の落選後は自分で次の就職先を探しました。誰も救いの手を差し伸べてくれなかったから(苦笑)。 私がついていた議員は総務省に強かったので、私も自然とそちらの人脈ができていました。そのため、放送業務に関係する会社などにコンタクトを取りました。しかし、議員が昔ながらの“クセ強おじさん”だったからか、敵も多く、まるで意趣返しのように断られ続けました。 半年後、20社めでコンサルティング会社に就職が決まりましたが、そのころには貯金が底をつきかけていました……」 選挙で人生が変わるのは、政治家だけではないのだ。