西武に“電撃トレード”松原聖弥が実は仙台育英で“メンバー外”だった高校時代…練習試合で広まった大谷翔平伝説「打球が校舎を越したって…」
ドジャースで連日の活躍を見せる大谷翔平。三十路を迎える「大谷翔平世代」には実に多彩な顔ぶれが揃う。現在もプロ野球でプレーを続ける選手の中で、一際ハングリーな経歴を誇るのが松原聖弥外野手だ。6月24日には育成時代から7年半所属した巨人から、西武へトレードで電撃移籍。人生の岐路に立つ松原が自身の歩みを振り返った。〈NumberWebインタビュー全2回の前編〉 【写真】「打球が校舎を越したってホンマ?」当時の高校球児が噂した大谷翔平の超ド級バッティングの写真。この記事の写真を見る。 人生の転機は突然訪れる。トレードを告げられたのは6月23日夜、巨人の編成担当者から掛かってきた一本の電話だった。 「驚きました。戸惑う部分はもちろんあったんですけど、同時に新天地でもう一度一からやってやろうという気持ちが強く湧き上がってきました」 今シーズン低迷が続く西武の起爆剤と期待されての移籍。ベルーナドームで入団会見にのぞんだ松原は、プロとは無縁の経歴から這い上がってきた自身の歩みを振り返り、こんな言葉を口にした。 「育成入団というのもそうですし、高校時代もレギュラーではなかったので、ちょっとした挫折では挫けないという部分はある。“雑草魂”じゃないですけれど、そこは誰にも負けないかなと思います」 “雑草魂”。その言葉はまさに、松原の野球人生を表している。
仙台育英で挫折、甲子園はメンバー外
幼少期から身体能力は抜群だった。中学時代は大阪のボーイズリーグで内野手として頭角を現し、高校は憧れていた仙台育英高に進んだ。 「中学時代に雑誌とかで進路を調べていた時に、仙台育英のチームカラーに惹かれたんです。自主性を重んじるような野球部だったので、絶対にそこに行こう、と。甲子園にも行きやすいかな、という思いもありました」 少年野球の激戦区・大阪でならした自信を胸に強豪の門をくぐった松原だったが、ここでいきなり挫折した。 「入った時点では『オレ、いけるわ』って思っていたんですけどね……。自主性を重んじるというところに惹かれたのに、いざ自主性、ってなると僕の性格上、どうしても楽な方に行ってしまった。自分で自分を追い込んだりもできなかったし、そういうところでどんどん他の選手と差がついたのだと思います」 当時のチームには、才能ある選手が揃っていた。1学年下にも上林誠知(現中日)、熊谷敬宥(同阪神)、馬場皐輔(同巨人)らが次々に入ってきて、松原はレギュラー争いから脱落していく。結局、高校3年間で、公式戦に登録されたのは2年の秋だけ。3年夏は、チームは甲子園出場を果たしたものの、松原はメンバー外だった。
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