コスプレイヤーに劇的変身…“美しき陸上選手”絹川愛が味わった絶望「まったく違う人間になりたい」
中学、高校では誰もが注目する成績を残しながら、たび重なるケガや難病に悩まされた元世界陸上代表の“美しき選手”絹川愛(34)。アスリートとしての葛藤と苦しみを紹介した【前編:絹川愛「トップコスプレイヤーになるまでの」地獄の日々】に続き、トップコスプレイヤーへ劇的な変身をとげた理由と第三の人生を本人の言葉で明かしたい。 青い髪にブルーの目…“美しき陸上選手”絹川愛「『弱虫ペダル』が超キマっている」コスプレ写真 「’12年8月のロンドン五輪を目指していたんですが、再びアキレス腱のケガなどに苦しめられました。手術もしましたが、なかなか本来の走りができません。代表選考に落ちた時は目標がなくなり、かなり落ち込みましたね。 私は負けん気が強く気分屋でもあります。勝ちたいという気持ちが人一倍強い。しかし、ケガでもう世界で一番になれないなら仕方がありません。『陸上、やーめた』という感じになったんです。所属していた(スポーツ用品メーカー)『ミズノ』を退社したのは’15年3月でした」 陸上から身を引きプレッシャーから解放された絹川だが、徐々に自分を見失っていく。第二の人生をどうしていいかわからなかったのだ。 「中学時代から陸上しかやったことがありません。電車のチケットの買い方さえわからないんです。アルバイトでもやってみようと考えても、履歴書の書き方を知らない。これから私は何をすればいいのだろうと、半年から1年ぐらい悩んでいました」 ◆アスリートの話題ばかり…… 陸上から離れても、出会った人々が振ってくるのはアスリートとしての話題ばかり。もうプロの陸上選手ではないのに……。アスリートとしか見られないことがイヤで、絹川はいつしか公の場から遠ざかっていった。 「たまにメディアに取り上げられると『消えた天才』と紹介されます。当時は何者でもない自分の状況に絶望していました。ツラい現実から目を背けたかった。今までとまったく違う人間になりたいと毎日真剣に考えていました」 絹川の頭の中にあったのはアニメや漫画の世界だ。子どもの頃はディズニーにハマり、陸上競技大会の遠征ではスーツケースの半分が漫画本で埋まっていた。 「『進撃の巨人』や『弱虫ペダル』など、漫画はジャンルを問わず読んでいました。陸上以外では唯一の趣味が漫画だったんです。実は『ミズノ』に在籍していた’14年ごろから、アニメや漫画のキャラクターに憧れコスプレをしていました。漫画に救われていたんです。陸上を離れてから違う人間になろうと誓い、男装しコスプレイヤーとして本格的に活動を始めました」 コスプレイヤーとしての名前は蓮弥だ。’21年から2年連続で著名雑誌『コスプレイモード』のベストコスチューマーを受賞。さまざまなコスプレ姿をX(旧ツイッター)にアップすると、フォロワーはあっという間に2万人を超えた。だが……。 「蓮弥=絹川愛ということは10年ほど隠していたんです。コスプレを始めた当初は偏見もあり、誹謗中傷されるのではないかと不安で……。しかし時代は変わりました。多様性が認められ、アニメオタクに対する世間の目も激変した。蓮弥も絹川愛も私です。もう隠す必要はないんじゃないか。そう決意して蓮弥の正体を告白したんです」 絹川は5月7日付の『スポーツ報知』で蓮弥が自分であることを発表する。 「反響は大きかったですね。コスプレ界では本名と素顔を明かすことはタブーでしたから。ファンの方々が、驚きながらも温かく見守ってくださったのは嬉しかった……。これからが第三の人生です。 アスリートというプロフィールを活かしながらコスプレイヤーとして活動するのは、私にしかできません。誰もが知る唯一無二のコスプレイヤーになりたい。コスプレでも陸上でも世界を目指したいです。陸上は10年間封印してきたので、まずは絹川愛の感覚を取り戻すために市民マラソンなどから肩慣らしで走っていきます」 これまでに100着ほどのコスプレ衣装を自分で作り、現在は週2~3回10kmほど走っているという絹川。“美しき陸上選手”の二刀流生活が本格的にスタートした。 ***************** 絹川愛(きぬがわ・めぐみ) 1989年8月7日生まれ。群馬県高崎市出身。仙台育英高時代から注目された陸上選手。世界陸上に2度出場。明るいキャラクターで多くのファンを魅了する。蓮弥の名前でコスプレイヤーとしても活躍。
FRIDAYデジタル