「存命だったら還暦」…JCO臨界事故から25年、被曝の治療にあたった医師は今も遺族と文通続ける
これまで地下鉄サリン事件の被害者救命、災害医療などに携わってきた前川さん。11年3月の東京電力福島第一原発事故では、現場の診療体制の構築を担い、首相官邸に助言する「原子力災害専門家グループ」の一員としても活動した。現在は相模原市の介護老人保健施設の施設長を務め、毎朝、80人ほどの入所者一人ひとりに声をかける。命と向き合う日々が続く。
大内さんの妻との文通では、最近届いた手紙に「主人が存命だったら還暦を迎えていた」と今の心境がつづられていた。臨界事故に関しては「忘れてほしくもあり、少し複雑な気持ちは残るが、大きく高い視点から見るならば、決して風化させてはならない」との記述もあったという。
前川さんは「医療には人知の及ばない領域があると教訓になったが、医師である限り、目の前の命をあきらめることなく救いたい」と語る。
◆JCO臨界事故=1999年9月30日午前10時35分頃、茨城県東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー」東海事業所で発生。作業員が高速実験炉「常陽」に使うウラン溶液を製造する際、核分裂が続く臨界状態を起こし、20時間ほどにわたった。大量の放射線を浴びた社員3人のうち2人が死亡。住民らも含めて660人以上が被曝(ひばく)した。