なぜ日本人は「小さいもの」に夢中になるのか?…「日本の昔話」「ポケモン」「たまごっち」の「意外すぎる共通点」
日本文化はハイコンテキストである。 一見、わかりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。「わび・さび」「数寄」「まねび」……この国の〈深い魅力〉を解読する! 【写真】じつは日本には、「何度も黒船が来た」といえる「納得のワケ」 *本記事は松岡正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。
ポケモンとかぐや姫
林明日香に『小さきもの』という歌があります。アニメ「ポケットモンスター」劇場版の主題歌で、「小さきもの それは私。私です まぎれなく」と歌っている。少し低い声なのにどこか哀しくもせつなくて、なかなか聞かせます。 ポケットモンスターは奇抜な発想でした。ゲームフリークの田尻智がおもちゃのカプセル怪獣にヒントを得てコンセプトをつくったロールプレイングゲームで、カプセルの中にいるモンスターたちが通信ケーブルを行き来する。そのころ新発売された任天堂のゲームボーイの人気とあいまって、1996年(平成8)以降、爆発的に当たりました。「ポケモン」と愛称され、キャラクター商品にもアニメにもカードゲームにもなった。 カプセルモンスターなので、最初は「カプモン」と略称されていたらしいのですが、それじゃ言いにくいということでポケットモンスター、縮めてポケモンとなった。モンスターとはいえ、カプセルに入っている怪獣なのでとてもかわいらしい。 もともとはロッテの「ビックリマンチョコ」のおまけシールに描かれた悪魔や天使のキャラクター集めが先行していて、このアイディアから連想が始まって、それらが田尻によってポケモンに結実したようです。 バンダイが同じ1996年に発売した「たまごっち」もそういうものでした。ウィズの横井昭裕とバンダイの本郷武一によるアイディアで、電子ウォッチの中にいるチビッ子のたまごっちを育てるというふうになっていた。 小さなカプセルに入ったキャラクターという発想は、その後の日本の子供たちを夢中にさせました。なぜ、こんなアイディアが出てきたのか。ロッテの販売促進員や田尻や横井の発想に一日の長があったからか。 そうでもあるのでしょうが、実はこれは日本人が昔からおおいに得意にしてきた発想だったのです。 一番わかりやすいのは「かぐや姫」です。おじいさん(「竹取の翁」といいます)が竹藪で竹を伐っていたところ、一本の竹が少し光っていたので不思議に思ってその竹を伐ると、節と節のあいだの空洞に輝くような幼女がニコニコしていたというのですから、これはまさしく歴史的なポケモン第一号です。 かぐや姫は成長すると美形女子になり、引く手あまたの求婚者があらわれたのに、次から次へと難問をふっかけて、結局は月にのぼっていきましたとさという話になっています。『源氏物語』よりもずっと古い平安時代初期の『竹取物語』(竹取の翁の物語)に語られている話です。日本最古のSFともいわれ、川端康成や星新一のほか、たくさんの作家たちが現代語訳をしています。 かぐや姫だけではありません。桃太郎や一寸法師だってポケモンです。桃太郎は川をどんぶらこ、どんぶらこと流れてきた桃を割ったらそこから生まれてきたわけですから、かぐや姫同様のカプセル・チャイルドです。やがて立派に成長してイヌ・サル・キジを連れて鬼が島に鬼退治に行って、金銀財宝を持ち帰った。 一寸法師のほうは、子供がほしいおじいさんとおばあさんが住吉神社に一心にお参りしていたら突然に授かるのですが、体はわずか一寸しかありません。一寸は約三センチですから、かなりちっぽけです。それでも、お椀の舟に乗って箸を櫂にして京に上り、大きな家の美しい娘さんをもらって打出の小槌を入手すると、これを振って自分を大きくしていった。自己成長させたのです。