人類が争いを回避するヒントはここに隠されていた…とあるサルが獲得した「驚きの能力」
「踊る身体」を手に入れた人類
さらに、これも以前から言われていることだが、人類は二足歩行による体型の変化から喉頭が下がり多様な発声が可能になった。これがやがて「言語」の出現につながるのだが、まずその前に、この段階でヒトは「踊る身体」と「歌う身体」を手に入れる。山極氏はこれを、「言葉を獲得する以前の、意味を持たない音楽的な声と、音楽的な踊れる身体への変化によって、共鳴する身体が出来る」と書いている。そしてこの共鳴こそが、人間の共感力の進化の始まりだと氏は考えている。 繰り返すが、他の類人猿にも多少の共感力はあった。しかしリズムに乗って多くの者が身体を動かすといった共感の広がりは人類だけが持つものだ。さらにそこに好奇心、とりわけ他者への関心が加わり、共鳴の輪が広がった。 多様な音声という点で思い出されるのは、ゲラダヒヒという特殊なサルの話だ。もう三十年近い昔になるが、私は当時、日本の霊長類研究の第一人者であった故・河合雅雄先生に、専門であるこのゲラダヒヒについて、お話を伺ったことがある。この件は、その後『対話のレッスン 日本人のためのコミュニケーション術』(講談社学術文庫)という書物に詳しく書いたのだが、重複を怖れず加筆修正して記しておこう。 ゲラダヒヒはエチオピア北部の高地に棲むヒヒの一種だ。このサルは、進化の系統から考えるとチンパンジーやゴリラといった類人猿と比べてヒトから遠い存在である。ちなみに英語では類人猿=apeとサル=monkeyは厳しく区別される。それ故、類人猿の研究者のなかには、ゴリラやチンパンジーを「サル」と呼ぶと怒る人もいる。ゲラダヒヒはapeではなくmonkeyだ。 しかしこのゲラダヒヒは、類人猿よりも複雑な社会を形成している。まず、ゲラダヒヒの家族は、不思議なことに、なわばりを持たない。いくつかの家族が集まってバンドと呼ばれる群を構成する。家族と、その上位の集団(例えば村)といった重層構造を持った社会を形成しているのは、霊長類のなかでもマントヒヒ、ゲラダヒヒと、そしてヒトしかいない。チンパンジーは群単位で行動するし、ゴリラは家族単位で行動する。ヒト以外の類人猿は、一つの共同体にしか所属しない。 ゲラダヒヒの群には、上下関係もないとされる。群を構成する家族同士は対等で、きわめて平等な社会を築いている。多くの生物は個食だが、ゲラダヒヒだけは二匹で一つの餌を仲良く並んで食べる行為が見られる。上下関係のある弱肉強食の野生の世界では、そういったことは決して起こらない。 ゲラダヒヒも野獣だから、小さな衝突はある。しかし他のサルなら、そういった衝突の際には序列の上のものが下のものを威嚇し、時に嚙みついたりして追い払うだろう。ところがゲラダヒヒの場合には、暴力は使わずに、なだめたりすかすなどして、どうにか物事を丸く納める。相手からの攻撃を事前に回避したり、攻撃性を和らげたりして寛容な仲間関係を作る。