『ブルー・オーシャン・シフト』が示す新たな課題は何か
■ブルー・オーシャンへの旅 『ブルー・オーシャン・シフト』の著者である我々2人は、ブルー・オーシャン・シフトとそれを実現するプロセスを、一夜にして突き止めたわけではない。これは、30年近くにわたって、ともすれば大きな困難を乗り越えながら実施してきた研究の成果である。 30年前、ある現象に当惑しながらも関心を抱き、研究に取り組みはじめた。1980年代半ばにはグローバル競争がかつてなく激しさを増し、歴史上初めて、さまざまな業界で軒並みアメリカ企業の形勢が不利になっていった。オートバイ、自動車、土木機械、消費者家電などの分野で、新たな競争相手すなわち日本企業に取って代わられていたのである。 当時、ミシガン州アナーバーを研究拠点にしていたため、この様子を文献を通して知るだけでなく、目の当たりにしていた。すぐそばに位置する自動車産業の聖地デトロイトは、大打撃を受けていた。「ビッグスリー」ことゼネラル・モーターズ、フォード・モーター、クライスラーは、巨額の赤字を出していた。企業や店舗の休業が相次ぎ、人々は大きな不安を抱いていた。ミシガン州では、新たな手強い競争相手の猛攻に恐れをなし、路上で日本車を破壊する人々まで現れた。デトロイトを訪れた時には、このような情勢はさらに鮮烈に目に入ってきた。どの通りもまるでゴーストタウンのようで、ゆっくり没落へと向かっていた。2人とも、当時は懐に余裕がなく、古い傷だらけの車に乗っていた。デトロイトの町もまた、精神と経済の両面で傷だらけだという印象だった。 要するに、先進国経済が新たな局面を迎え、それがかつてない課題をもたらしていたのである。第二次世界大戦後の需要が供給を上回る状況から、供給が需要を上回る厳しい状況への移行が進んでいた。それが意味するのは、競争が激しさを増す一方であることだった。この新たな課題の衝撃に真っ先に直面するのはアメリカ企業かもしれないが、我々は、日本を含む全先進国の企業も早晩同じ状況に陥ると確信していた。備えを怠れば、斜陽のデトロイトと同じく没落するだろう―。 目にした状況には胸が痛んだ。そこで、以上のような視点のもと、新たな現実に対処する方法や変化を遅らせる方法ではなく、世界中で競争が激化するなかで、単に生き残るばかりか繁栄するための方法を掴み取ろうと、腰を上げた。 研究上の問題意識はしだいに明確になり、焦点も絞られてきた。どうすれば、血みどろの競争が展開するレッド・オーシャンから抜け出し、利益ある力強い成長を遂げられるのか。至高の先へと到達して新しい市場空間を創出し、競争を無意味にする方法は何か。 研究から得られた初期の成果は、戦略・マーケティング分野の諸論文にしたため、『ハーバード・ビジネス・レビュー』や学術誌に発表した。それらをまとめた処女作『ブルー・オーシャン戦略』は、2005年に初版が、2015年には新版が刊行になり、44カ国語に翻訳されて5大陸でベストセラーを記録した。「一夜にして」世界的ベストセラーになったように見えるかもしれないが、その陰には、長年にわたる粘り強い取り組み、辛苦、初志貫徹があった。 『ブルー・オーシャン戦略』は一言で述べるなら、市場はレッド・オーシャンとブルー・オーシャン、2種類の海からできている、という見方を打ち出した。レッド・オーシャンは、大多数の企業が競争する、既存の全業界を指す。ブルー・オーシャンは、新たに創造される業界すべてを指し、利益や成長はしだいにここから生まれるようになる。 『ブルー・オーシャン戦略』は、過去100年以上にわたる、30業界における150の戦略施策を研究した結果をもとに、既存市場での競争戦略(レッド・オーシャン戦略)と市場創造の戦略(ブルー・オーシャン戦略)の概念的相違と基本形態を説明した書である。ブルー・オーシャンの創造に向けた分析ツールを紹介するほか、なぜレッド・オーシャン戦略が競争の理論であり、ブルー・オーシャン戦略が競争を無意味にする市場創造の理論であるのかを、浮き彫りにした。「レッド・オーシャン」「ブルー・オーシャン」「ブルー・オーシャン戦略」は、すぐにビジネス用語として定着した。 世界中の個人、政府機関、企業、非営利組織がブルー・オーシャン、レッド・オーシャンというレンズを通して世の中を見るようになったため、予想もしなかった速さで関心が高まっていった。伝統的な組織は、「レッド・オーシャンから抜け出してブルー・オーシャンを創造しなくては」と考えた。起業家達は、「レッド・オーシャンには見向きもせずに、ブルー・オーシャンの事業機会を探す必要がある」と議論した。「ブルー・オーシャン戦略とは何か」から「この理論とツールを実際にどう活かして、レッド・オーシャンからブルー・オーシャンへ移行するか」へと、関心や議論の焦点がすっかり変化した。 起業家や新興企業は、最小限のリスクでブルー・オーシャンを創造、支配するための、具体的な手順と体系的な行程を探していた。レッド・オーシャンにはまって身動きの取れない既存企業は、大海原へと漕ぎ出す方法を知ろうとした。 その問題意識は「自社は官僚体質で変化への抵抗が強いのだが、どこから始めればよいだろう」「既存業界のルールに沿った競争手法しか知らず、それにすっかり馴染んだ人材に、ブルー・オーシャン戦略の受容と参加を促すには、どうすればよいか」だった。彼らは過去の経験から、アイデアや変革努力がいかに創造的であっても、「人をどう動かすか」という問題に対処しない限り、ブルー・オーシャンへの移行は果たしえないと心得ていた。移行を確実に成し遂げるために、組織面のハードルに直面した場合に、人々の信頼と協力を勝ち取る方法を、知りたいと考えていた。 この新しい研究課題に対処するために、我々は調査に乗り出した。対象は、ブルー・オーシャンの創造と制覇を目指して、我々の理論と手法を応用した人々、具体的には、ポール・マカリンディンとイラク国立ユース管弦楽団(NYOI)、グループセブのクリスチャン・グロブと部下達、マレーシア政府のNBOSサミットである。NBOSサミットは2009年に始動して以来、100を超える国家ブルー・オーシャン・プロジェクトを発案、遂行した。それらの成功と失敗のパターンを分析し、経験から教訓を引き出し、成果につながる方法とそうでない方法は何か、落とし穴を避けるにはどうすればよいかを突き止めた。 これら個人や組織の多くは、我々や、ブルー・オーシャン・グローバルネットワークのメンバーのもとに助言を求めてきた。彼らが抱いた疑問は、どこからどのように旅を始めればよいのか、新しい事業機会にどうツールを活かせばよいのか、有意義なブルー・オーシャン施策をどう絞り込めばよいのか、施策の実現に向けて望ましいメンバーをどう集めればよいのか、などである。施策を進める過程でどう人々の信頼と自信を培うべきかを知りたい、という要望もあった。なぜなら信頼や自信は、必要な変化を起こそうとする意思と熱意を引き出すうえで、欠かせないのである。 詳しくは後述するが※1、消費財メーカーのキンバリー・クラーク・ブラジル(KCB)もその一社である。KCBは、15億ドルを超える規模のブラジルのトイレットペーパー業界で事業を行っていたが、競争の熾烈なレッド・オーシャンから抜け出し、「コンパクト」というブルー・オーシャン製品によって新しい業界標準を打ち立てた。 ブルー・オーシャンの理論と方法論を独自に応用した企業や組織もある。我々はクチコミ、書簡、報道記事を通してそれらを知り、連絡を取った。その一社が、手頃な料金ながら高級感もあるホテルチェーン、シチズンMホテルズである。アムステルダムを本拠とするシチズンMは現在、世界各地で事業を展開し、コストを極力抑えながら、観光業界で最高レベルの顧客満足度を誇っている。 ヘルスメディアも同様の事例である。ヘルスメディアは、2006年には売上高がわずか600万ドルと苦戦していたが、テッド・ダッコのリーダーシップの下、デジタル・ヘルスコーチング(健康指導)という新しい市場空間を創造し、わずか2年後にはジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)に1億8500万ドルで売却した。 さらには、軽食も扱うコンビニ兼ガソリンスタンド・チェーンWawaの事例もある。アメリカの株式未公開企業として36番目の規模を持つWawaは、ハワード・ストッケル前CEOの指揮下、ブルー・オーシャン戦略のツールとアイデアを活かして爆発的な成長を遂げた。ブルー・オーシャンにふさわしい商品やサービスを提供して、現CEOクリス・ギーゼンズの下でも成長を続けている。 我々の分析は、消費者向け事業(BtoC)、法人向け事業(BtoB)、公共セクター、非営利セクターの事例を網羅している。これら実地への応用例や追跡研究を通して、ブルー・オーシャン・シフトを成功へと導く共通要因だけでなく、途中の落とし穴やハードルについても知ることができた。 自分達の発見が妥当か、あるいは広く応用できるかどうかを大規模に検証するために、既に述べた以外にも、独自のプロセスをもとにレッド・オーシャンからブルー・オーシャンへと移行した組織について、戦略的施策の背後にあるパターンを分析、比較した。その狙いは、熾烈な競争から抜け出して新しい市場を創造する方法について、より広く、より深く理解することだった。我々のツールやアイデアを用いてシフトを実現したことが判明している組織と、そうでない組織、両方を研究対象にするのが、市場創造のパターンと動的プロセスをより完全に把握するうえで肝要である。 こうして、10年以上にわたって新たに研究と分析を行った末に、ブルー・オーシャン・シフトを成功へと導くカギについて、より深い理解に到達できた。 ※1 『ブルー・オーシャン・シフト』第8章に掲載。
W. チャン・キム,レネ・モボルニュ