「すべての苦労が報われた。これでようやく終われるなって…」日本が世界のプロレス界に誇る“女帝”が流した涙 ブル中野、日本人女子初の“WWE殿堂入り”快挙
■ヒールがリング上で見せた“笑顔” 日本人初のWWF世界女子王座を獲得
――94年にWWEに行くきっかけはなんでしたか? ブル 私は当時まで全女にあった「25歳定年制」をなくして、アジャ(コング)に赤いベルトを獲られたあとも現役を続けたんですけど、後輩たちのためにもずっと全女にいることはできないなと思っていたんです。じゃあ何をすればいいか模索していた時、たまたまWWEから話が来て。「私が海外との架け橋を作ればいいんだ」と思ったんです。 ――そういった使命感を持っての渡米だったんですね。実際、ブル中野とアランドラ・ブレイズの抗争は、アメリカの女子プロレスを変えましたよね。今、WWEでは女性アスリートの地位がすごく上がって、ビッグマッチのメインをウィメンズ・ディヴィジョンが飾ることも珍しくなくなっていますけれど、その先駆けだったと思います。 ブル それを聞いてすごくうれしいですよね。自分たちがやっていた時、メインイベントで組まれることはまずなかったし、女子の試合も1試合だけ。巡業に出ている女性も私とメドゥーサとマネージャーのルナ・バションの3人だけだったんですよ。それがだんだんと女子の試合もすごいって認められていったんです。 でも、私とメドゥーサがいなくなってからは、『プレイボーイ』とかのグラビアに出ているきれいな女性たちがリングに上がる“ディーバ”と呼ばれていた時代があったので、「この先どうなるのかな?」という風には思っていたんですけども。それが今は本当にすごい闘いをしてくれるレスラーばかりになって、また認められて。それはすごくうれしく思いますね。 ――その原点が、ブル中野vsアランドラ・ブレイズにあると認められたからこその今回の殿堂入りだったと思います。 ブル だったらすごく光栄ですね。プロレスはやっぱり相手あってのものだし、私もメドゥーサというライバルがいたから、WWEでもブル中野の試合が見せられたと思っているので。 ――そして94年11月20日、全女の東京ドームでアランドラ・ブレイズを破って日本人で初めてWWF世界女子王座を獲得するわけですよね。 ブル あの時は本当にうれしかったですね。私はずっとヒールでやってきたので、リング上で泣いたり笑顔を見せたりは絶対にしてこなかったんですけど。あの時は本当にうれしくて、リングで笑顔を見せてしまいましたから。 ――その後、95年にWWE遠征を終えるときはどんな思いでしたか? ブル 辛いこともたくさんあったんですけど、いろんな人に助けていただいたからやってこれたので、感謝の気持ちを手紙に書きたいなって思ったんです。それでたくさんのレスラーや関係者に手紙を書いたんですけど、あまりにも数が多かったので、私のあとからWWEに来た白使(新崎人生)選手と、アメリカ在住だった西村修選手がちょうどいたので、同じ文面で二人にも書かせました(笑)。 ――感謝の手紙の代筆をさせましたか(笑)。当時のWWEに日本人女性は中野さんだけでしたが、いまはイヨ・スカイ、ASUKA、カイリ・セインの3選手が大活躍しています。彼女たちの活躍はどう見ていますか? ブル それもうれしいの一言ですよね。今まで頑張ってきた選手が、チャンスを逃さずつかんで、いまあのリングに立っているんだなということが手に取るようにわかるので。それにたくさん女子レスラーがいればいるほど盛り上げるし、モチベーションもすごく高いと思うので、ますます頑張ってほしいと思います。 ――では最後に、これから上を目指していく若い女子レスラーたちにメッセージをいただけますか? ブル 大事なことは「チャンスは絶対に逃さない」ということ。あとは「自分のプロレスはこれだ!」という強い芯が一本ないとブレてしまうので、それを持つことも大事です。そして「自分が何になりたいか」を常に考えていないと、そこにたどり着くことはできないと思います。「リングに上がれればそれでいい」という考えの人ならそれでもいいですけど、私は「絶対に世界一になる」という強い思いがあったから、世界一になれたと思うので。強い気持ちを持って、夢を実現させてもらえたらなって思います。