江川卓のボールを捕手として初めて受けた中尾孝義は「あれっ⁉︎ こんなに遅くなっている」と衝撃
アマチュア時代の江川は、試合前から相手を圧倒し、戦わずして優位な状況をつくっていた。 「合同練習のなかでシートバッティングをやりました。最初は控えの大橋(延康)が投げて、その次に江川が投げた。1番から3番まで、誰もバットにかすりもしない。4番の僕がかろうじて2球ファウルにしたのですが、その次の球が頭に向かってきたので避けたらカーブ。ものすごいブレーキで曲がってきてストライク。こんなカーブ初めて見ました。地元の新聞だったか、『江川にカーブを投げさせた男』って書かれて、県内ではちょっと有名になりました(笑)。とにかく、球がどんどん大きくなるような感じで向かってくるんです。そんな経験、後にも先にもこの時だけです」 ある雑誌の企画でふたりが対談した際、「球が大きくなるなら(バットに)当たるじゃん」と江川が言うと、中尾が「だから当たった」と答えると、「そっか」と納得していた。 いずれにしても、高校時代の江川のボールにかすりもしないのはもはや普通のことで、当たったこと自体がすごいことだった。 象徴的なのが、何度も語られている1973年のセンバツ大会1回戦の北陽(現・関大北陽)戦だ。先頭打者への1球目から数えて23球目に初めてバットに当たってファウルになった瞬間、スタンドがどよめいたことは、江川のボールのすさまじさを如実に語っている。 【日本代表で初めて江川とバッテリー】 中尾は高校野球引退後、秋頃から江川とともに慶應義塾大の受験合宿メンバーの7人に選ばれた。毎週金曜日に学校が終わったあと新幹線で東京へ行き、代々木八幡で2泊3日の勉強合宿を行ない、日曜日の夜に新幹線に乗って帰った。 「愛知の豊橋でも合宿を行ない、朝10時から夜10時までみっちり勉強。息つく暇がなかった。そのなかでソフトボールの試合をしたのがめちゃくちゃ楽しかった」 豊橋での勉強合宿中に、休憩がてら地元の高校の女子ソフトボール部と試合することになったのだ。江川も「ソフトボールチームと試合をするぞとなった時に、すごくうれしかった」と言うほど、強烈な記憶として残っている。プレッシャーのなかでの勉強漬けの毎日は、息苦しさしかなかったのだろう。束の間の休息を、江川たちは思う存分楽しんだ。