「初代うたのおねえさん」イメージ守るために受けた“私生活の徹底管理”
初めてのカメラ前での歌唱に戸惑う眞理さんに、ディレクターからは、「普段着の3歳の子が目の前にいると思って歌うように」との助言もあったが、 「きちんと歌を伝えながら、親しみあるおねえさんでいなければと考えすぎて、カメラの前で直立不動になったことも。また、変に歌に感情を込めすぎると、ディレクターさんから『子どもに迎合するな』と、安易な発想を叱られたりも」 数週間が過ぎたころだった。 「私がカメラに向かって、『あっ、きみきみ、今日、ゆでたまご食べたでしょ? お口のまわりに黄色いのがついてるわよ』と言ったら、放送後にお母さん方から『うちの子が思わず口元を拭ってました』と、たくさんお手紙が届いて。それを機に『子どもたちは私のブラウン管越しの言葉を、自分に話しかけているように受け止めてくれている』と感じられ、おねえさんとしての自覚が持てました」 番組からは、『おはながわらった』『あめふりくまのこ』など、のちに童謡のスタンダードとなる名曲が次々に誕生していく。 「この2曲を作曲した湯山昭さんはじめ、『うたのえほん』のテーマ曲の詞がサトウハチローさん、曲が冨田勲さんなど、作詞作曲だけでなく、ピアノの伴奏なども超一流の先生方ばかり。言葉のアクセントや鼻濁音を徹底的に鍛えられました。こうした出会いや、緊張感みなぎる収録を乗り越えられたことは、私の歌手人生の宝物です」 一方で、“おねえさん像”を守るためのテレビ局側からの要望はかなり厳しかった、と打ち明ける。 「本音を言えば、当時、まだ若かった娘としては、徹底した管理ぶりは少々きつかったですね(笑)。お給料もいただくようになって、ちょっと羽を伸ばそうと収録後の夕方にスタジオ近くの屋台でおでんを食べていたら、ディレクターさんから、『うたのおねえさんというのは、ああいうところでおでんを召し上がらないものです』と、お小言をいただいたり。もっと驚いたのは、収録でトチったら、私が帰宅する前に自宅の母に電話が入っていて、『お嬢さんは今日、2回NGをお出しになりました』と伝わってたこと」 「最初にこのお話をいただいたときは、私も若くて、子どもの歌を歌うことをそれほど深くは考えていなかったと思うんです。でも、毎日、歌い続けていくなかで、わずか10分間の番組でしたが、その子の人生の先々までつながっていく大切なものを今、歌を通して手渡していると、そんな思いを持つようになっていました」 そんな眞理さんは、デビューから63年がたったいまもコンサートなどで精力的に活動を続け、「声の続く限り歌い続けたい」と語る。「初代うたのおねえさん」は、これからも子どもたちの心を育んでいく――。 【後編】「初代うたのおねえさん」眞理ヨシコさん、63年間練習を続ける“国民的童謡”へ続く (取材・文:堀ノ内雅一)
「女性自身」2024年12月10日号