「金屏風会見」の17分間、中森明菜と近藤真彦は本当は何を考えていたのか 自宅で自殺未遂に及んだ元恋人を前に「一番初めに喜ばなければならないのは…」と言い放った驚きの心理
昭和の歌姫、中森明菜が帰ってきた。どれだけのファンが彼女の復活を願っていたことだろう。 【画像】58歳とは思えない、明るい表情でかわいすぎる現在の中森明菜 2023年12月、公式YouTubeでヒット曲『北ウイング』のクラッシックバージョンが公開されると、6月6日時点で665万回再生を突破。彼女の誕生日である7月13日を含めて開催されるファンクラブ会員限定のイベントでは、チケットを取れなかったファンが続出しているという。 長い間活動休止と束の間の復活を繰り返してきた中森さんだが、その発端が1989年に、当時交際中だった近藤真彦の自宅で起こした自殺未遂事件であることは間違いない。 しかしそれ以上に彼女の復帰を難しくしたとも言われるのが、自殺未遂の半年後に開かれた「復帰会見」だった。後に「金屏風会見」と呼ばれたその映像を改めて分析すると、当時の2人の異様な関係性が見えてきた。
ショートヘア、グレーのスーツでまるで「謝罪会見」
1989年12月31日、中森明菜の「緊急復帰会見」は都内ホテルで行われた。大晦日の夜でありながら生放送された会見には、多くの記者が集まったが、会見に表れた中森さんの顔はやつれていた。 長かった髪はショートになり、服は地味なグレーのスーツ、復帰というめでたい席のはずが、まるで謝罪会見だ。襟を縁取るスパンコールの光だけが、かろうじて彼女の復帰を表していた。 席の前で深々と報道陣に頭を下げて着席するが、視線は伏せたまま。後ろにはなぜか金屏風が置かれていた。 最初に口を開いたのは彼女ではなく、隣に座ったワーナー・パイオニア(現・ワーナーミュージック・ジャパン)の社長、山本徳源氏だった。「本人はぜひぜひ年内に私の元気な姿をお見せしたい」と中森自身が会見を望んだと説明するが、その間も本人は視線を上げなかった。
山本社長が続けて「私自身から皆さんがたに私の真意をお伝えしたいという希望がありまして」と彼女の言葉を代弁すると、中森さんは口を軽く開け、舌を上の歯の裏につけた。 舌の動きはその人の考えや気分を読み解くカギとなるといわれる。強いストレスや不安を感じて躊躇する気持ちを、なんとか落ち着かせようとしているように見える。 「本人の言葉を聞いて欲しい」という山本氏の発言とは裏腹に、彼女は今にも泣きそうな顔で、うつむくようにゆっくりと首を横に振った。心の底ではそっとしておいてほしかったのではないだろうか。