戦力外→コーチ就任も…1年で選んだ退団 37歳で収入激減、安定を捨てた異例の決断
収入は激減も「プロ野球生活でお金を確保しておくというのは決めていた」
DeNA退団後にサラマンダーズから声がかかり、投手コーチ兼任で現役復帰を果たした。サラマンダーズでは2年間プレーし、退団後の今季はウエスタン・リーグに参入したくふうハヤテに入団した。NPB球団でのコーチ業とは収入面で大きく違う3年間を送った。 「コーチを3年間やっていたとしたら、お給料は全然違います。半分以下どころじゃないですよ(笑)。でもそれでいいんじゃないかと思います」 プロ入り前から、プロが終わった後にやりたいことをやるための貯金はしていたという。「今しかできないことをやりたいと思っていました。やめてからの資金をちゃんと貯めておこうと。だからプロ野球生活でお金を確保しておくというのは決めていた。やりたいことにお金を費やすことは決してマイナスなことではないので」。 プレーヤーとして成長するために、さまざまな環境で野球を学びたいというのが藤岡の思いでもあった。高校野球(宮崎日大)から社会人(JR九州)、15年間のプロ野球ではセ、パで計15年。独立リーグで2年、2軍戦新規参入球団も“勉強”した。 来年3月に40歳を迎えるが学ぶ意欲は衰えていない。「もうちょっと現役でやりたいと考えている。海外の野球にも触れてみたいという思いがあります」。自分の視野を広げるためにも、ハヤテを1年で退団した。新たなプレー先はニカラグアに決まった。NPBを経験した日本選手がいない国をあえて選択した。“球道”を模索する藤岡の野球人生はまだまだ終わらない。
湯浅大 / Dai Yuasa