「プリンス以上の人物はいない」傑作ドキュメンタリー監督が語る天才の実像と取材秘話
次世代の子供たちを助けるために
─この映画が製作中だと6年ほど前にニュースが流れた時点では、他のディレクターの名前が監督として報じられていました。結果的にあなたがこの映画を引き継ぐことになり、取材に協力したはずのアンドレ・シモーンやデズ・ディッカーソンのシーンは完成版から消えていましたね。その間に何が起きたのか教えてもらえますか? ダニエル:この企画は、もともと最初のディレクターと、プリンスのバンドメイトだったデズ・ディッカーソン、アンドレ・シモーンから始まりました。しかし取材を進めるうちに、彼らはプリンスではなく自分たちについての映画を作りたかったのだと気付いて……デズから「プリンスについて書いたから、僕の本を読んでみてよ」と言われて読んでみましたが、そこに書いてあったのは彼自身のことばかりでした。プリンスに対する嫉妬や、彼ら自身が認められたいというエゴを感じて、映画の方向性に疑問を感じたので、一旦取材をストップすることにしました。 デズやアンドレがこの映画に登場しないのは、そういう理由からです。最初のディレクターも話が違うところがいろいろ出てきて雲行きが怪しくなったので、この映画から外れてもらいました。残念ながらアンドレ・シモーンから離れることになりましたが、彼のお姉さんたち……プリンスが実家を出て居候をしていたアンダーソン家の人たちは私を信用して心を開き、インタビューに応じてくれました。 インタビュー映像をたくさん撮ったので、膨大な量の未使用シーンがあります。それらをどうカットして、本編に組み込むべきか考えるのはとても難しい仕事でした。何故なら、素晴らしいシーンが他にもたくさんあるからです。この映画をDVD化することができるなら、皆さんから要望があれば、ボーナス映像としてそこに未使用シーンを加えたいと考えています。 ─本編に使われた映像は、誰から最初にインタビューの撮影を始めたんですか? ダニエル:撮影初日は、私と話してくれないファン全員とのディナーから始まりました。私はペイズリー・パークに通っていた熱心なファンを集めましたが、彼らは沈黙を守りました。私を信用していなかったからです。彼らはおかしな形でプリンスについての情報が流布されることを望んでいないのだと悟りました。 次に私が会いに行ったのは、ディスクジョッキーのQベア(ウォルター・Qベア・ジャクソン)でした。彼はキッズの頃からプリンスと仲が良くて、ミネアポリスで初めてアフロアメリカン向けのラジオ局を立ち上げた人物です。それはミネアポリスの黒人のコミュニティにとってとても重要なことで、彼は地元の人たちからとても愛されています。彼と出会ったことがきっかけで、プリンスについてのインタビューを断っていた人たちが私に取材を許可してくれるようになりました。 私がミネアポリスのコミュニティの人たちと話したいと思ったのは、彼らがどこから始まったのかを知らずに、プリンスの成長について語ることはできないと思ったからです。そしてスパイク・モスに会った瞬間、それがこのドキュメンタリーの決め手になりました。彼はこの映画に登場するコミュニティ・センター、「ザ・ウェイ」を設立し、プリンスを含むたくさんの子供たちの支えになりました。 ─映画にも出てくる、「ザ・ウェイ」に協力したキーボーディスト、ボビー・ライルのレコードを今日は持ってきました。彼はプリンスに影響を与えたジミ・ヘンドリックスやラヴのアーサー・リー、スライ・ストーンとも共演した経験のあるミュージシャンですが、日本のレコード会社からエレクトーン奏者としてデビューして金銭的に潤った頃に、スパイク・モスからの要請を承けて「ザ・ウェイ」に協力したそうですね。 ダニエル:どうやってこのレコードを見つけたのですか? これは素晴らしいアルバムです。ボビー・ライルのエピソードを入れることにしたのは、「ザ・ウェイ」の哲学を伝えたかったからです。若者をドラッグや銃など、危険でクレイジーな環境から遠ざけるというコンセプトで、彼らは「ザ・ウェイ」を運営していました。そのためにスポーツや音楽といったレクリエーションを若者たちに提供したのです。成功した者は、次の世代を助ける責任がある……その哲学が私を駆り立てました。今ではスパイク・モスは、私にとって父親のような存在です。 ダニエル:そして、スパイク・モスはジョージ・フロイドのメンターでもあったのです。プリンスの死後、2020年にミネアポリスで起きたあの事件は、スパイクにとって非常につらいことでした。ジョージ・フロイドが殺されてから暴動が起きたときも、彼はそれを沈静化するために尽力しました。 プリンスはスパイクと「ザ・ウェイ」を再建することを話し合っていましたが、彼が亡くなってしまってそれは叶わず、今では跡地に警察署が建っています。プリンスが亡くなったことで再建への道が断たれ、スパイクは打ちのめされました。私はスパイクと会って物語のすべてを知ったとき、スパイクに「プリンスが始めようとしたことをやり遂げたい」と話しました。それがこの映画の柱になる部分です。 この映画のラフカットをチャカ・カーンに見せたら、彼女は「私が育ったシカゴで『ザ・ウェイ』を再建できないかしら?」と言ってくれて、うれしかったです。確かに、裕福な人々に働きかけて賛同を得ることができたら、再び「ザ・ウェイ」のような場所をミネアポリス以外の土地にも作って、貧しいキッズや困窮している人たちを救うことができるかもしれない。自分を育ててくれた地元に対して責任を持つ……そういう哲学が、スパイクの発言から感じ取れると思うし、次世代の子供たちを助けるためにこの映画を完成させようというモチベーションにもなりました。