「続きはまた明日」があれば生きていける 大石静が『光る君へ』で描ききった“物語論”
2010年のNHKドラマ10『セカンドバージン』以降、大石静は、彼女が得意とする不倫を題材にしたメロドラマの先に政治や国家の影が見え隠れする作品がじわじわと増えていった。 2023年に配信された宮藤官九郎と共同脚本で執筆したNetflixドラマ『離婚しようよ』はその筆頭だが、メロドラマと政治劇を融合させようとする作者の動機が見えにくいものが多く、この二つを融合させようとした結果、飛躍しすぎて物語がバラバラになってしまうものも少なくなかった。 『光る君へ』の太宰府編(第46~47回)で、まひろが異国の海賊との戦争に巻き込まれる場面にもその兆候は現れており、これまで本作が積み上げてきた物語が壊れてしまうのではと不安になる一方「やっぱり、大石静はこれがなくっちゃ」というワクワクする気持ちが同時に渦巻いた。 まひろと最後に結ばれる男かと思いきや、あっさり退場した周明(松下洸平)のメロドラマ的展開も唖然とする一方で、不思議な感動があるのだが、ダメ押し的に描かれた太宰府編は、このドラマが史実の枠に収まらない「物語」なのだという作者の宣言のようにも感じた。 そして最終話では、余命わずかとなった道長のためだけにまひろは物語を語る。彼女が語るのは「幼少期の三郎とまひろの物語」。残念ながら幼少期のまひろと三郎が出会ったところで物語は終わってしまうのだが、もしかしたらこの物語は、三郎がまひろが都を出て、どこか遠くへ旅立つ話だったのかもしれない。 まひろの物語を聞く道長の姿は、これまで大石静が書いてきたどのラブシーンよりもエロティックでありながら優しさに満ち溢れていた。物語の終わりにまひろは「続きはまた明日」と語り、続きを聞きたいという思いが、道長の生を少しだけ引き伸ばす。 このやりとりこそ優れた物語論だが、同時に毎週放送されるテレビドラマのあり方を示している。 「続きはまた明日」この一言さえあれば、私たちは生きていけるのだ。
成馬零一