なぜ日本人は「法」を遵守しないのか?…日本人の深層心理に張り付いた「日本的法意識」にひそむ「闇」
「法の支配」より「人の支配」、「人質司法」の横行、「手続的正義」の軽視… なぜ日本人は「法」を尊重しないのか? 【写真】「前近代的」すぎる現代日本人の法リテラシー…江戸時代の庶民よりも低い? 講談社現代新書の新刊『現代日本人の法意識』では、元エリート判事にして法学の権威が、日本人の法意識にひそむ「闇」を暴きます。 ※本記事は瀬木比呂志『現代日本人の法意識』より抜粋・編集したものです。
「法意識」とは何か?
「法意識」という言葉は、どこかで聞いたことがあるような気がするが、今一つピンとこない。そんな読者の方々も多いだろう。仮にあなたが優秀な法学部生、法科大学院生だとしても、「法社会学者が『法意識』について論じているのは知っているが、それにどういう意味があるのかはよくわからない」、せいぜいそんなところではないかと思う。 実際、大学の法学教育でも、「法意識」は、法社会学、法哲学といった基礎法学の講義で登場するだけのことが多い。したがって、弁護士、裁判官等の法律実務家でも、「法意識って何ですか?どういう意味があるんですか?」と尋ねられれば、的確な説明をすることは容易でないはずだ。 そこで、まずは、「法意識」について、法律学辞典的な定義をしてみよう。 「法意識」は、広く、法に関する人々の意識、すなわち、法に関する知識、感覚、観念、意見、信念、期待、態度等、法に関する各社会固有の傾向を包括的に表現するための言葉だ。 しかし、これでは抽象的な言葉の羅列で頭に入りにくいから、わかりやすい日常の言葉を用いて言い直してみよう。 「法意識」は、法に関する人々の知識、考え方や感じ方、また、それに対する態度や期待を包括的に表現するコトバである。 さて、本書は、書名から明らかなとおり、日本人に根付いている「日本人特有の法意識」をテーマとする。そして、特にその現代的な様相を明らかにすることに焦点を当てている。私は、裁判官として33年間に約1万件の民事訴訟事件を手がけるとともに、研究・執筆をも行い、さらに、純粋な学者に転身してからの約13年間で、以上の経験、研究等に基づいた考察を深めてきた。この書物では、そうした経験をもつ者としての、理論と実務を踏まえた視点から、過去に行われてきた研究をも一つの参考にしつつ、「現代日本人の法意識」について、独自の、かつ多面的・重層的な分析を行ってみたいと考える。 法学者・元裁判官である私が、法律のプロフェッショナルですら満足に答えられないような曖昧模糊とした「法意識」に焦点を合わせた一般向けの書物を執筆したのは、日本固有の法意識、日本人の法意識こそ、私たち日本人を悩ませる種々の法的な問題を引き起こす元凶の一つにほかならないと考えるからだ。 そればかりではない。意識されないまま日本人の心理にべったりと張り付いた日本的法意識は、日本の政治・経済等各種のシステムを長期にわたってむしばんでいる停滞と膠着にも、深く関与している可能性がある。その意味では、本書は、「法意識」という側面から、日本社会の問題、ことに「その前近代的な部分やムラ社会的な部分がはらむ問題」を照らし出す試みでもある。 この書物で、私は、日本人の法意識について、それを論じることの意味とその歴史から始まり、共同親権や同性婚等の問題を含めての婚姻や離婚に関する法意識、死刑や冤罪の問題を含めての犯罪や刑罰に関する法意識、権利や契約に関する法意識、司法・裁判・裁判官に関する法意識、制度と政治に関する法意識、以上の基盤にある精神的風土といった広範で包括的な観点から、分析や考察を行う。 それは、私たち日本人の無意識下にある「法意識」に光を当てることによって、普段は意識することのない、日本と日本人に関する種々の根深い問題の存在、またその解決の端緒が見えてくると考えるからである。また、そのような探究から導き出される解答は、停滞と混迷が長く続いているにもかかわらずその打開策が見出せないでもがき苦しんでいる現代日本社会についての、一つの処方箋ともなりうると考えるからである。 なお、こうした試みは、私が初めて行うわけではない。日本の法社会学の草分けともいえる民法学者・法社会学者川島武宜が、『日本人の法意識』〔岩波新書〕で、西欧諸国の法律にならって作られた明治以降の法体系と人々の現実の生活や意識との間に存在する大きな溝、ずれに注目し、法と権利、所有権、契約、民事訴訟という基本的な法的事項に関する当時の日本人の法意識について論じて以来の、長い歴史がある。 さて、「法意識」を論じる上で注意してほしいのは、「法意識」における「法」の対象が、普通に人々が考えている「法」よりもはるかに広いことだ。日本人が普通に考える法は、六法全書収録の法すなわち制定法だが、「法意識」にいう法は、裁判所が制定法を解釈し具体化した判例法はもちろん、慣習法や部分社会の公的ルールまでをも含みうる非常に広い概念なのである。 また、「法意識」は、右のような広義の法についての人々の「現実的な評価」と、こうあってほしいという「願望」の双方を含んでいる。そして、各社会の歴史、構造、文化によって形成されてきた「法文化」を反映した概念でもある。したがって、本書の分析の対象は、前記のとおり、法にとどまらず、日本の文化や社会一般にまで及ぶ。そこまで視野を広げなければ、複雑化した現代社会に生きる現在の日本人の法意識を的確に分析することは難しいからだ。 以下、本書の構成、各章の内容について、より具体的に述べておく。 第1章では、法意識論の前提として、「現代日本人の法意識」について考えることの意味とその重要性について述べる。 第2章では、第3章以下で現代日本人の法意識について考える前に、その前提として、まずは、日本法の歴史とその特質について論じる。「法意識」、「法思想」という側面を念頭に置きつつ、また、その現代につながる側面を浮かび上がらせるかたちで、分析してみたい。なお、江戸時代庶民の法意識については、その意外に進んでいた側面をもクローズアップする。 第3章では、法と人々の法意識との間に大きなギャップが生じやすい分野である家族法関係の事柄、具体的には、婚姻と離婚、共同・単独親権、不貞、事実婚、同性婚等の事柄について、そのあるべき姿をも見据えながら検討する。特に、同性婚ないしはこれに準じる制度を法的に認める場合の具体的な方法、また、子をもつことまで認めるかは、いずれも難しい論点である。できる限り正確にかつわかりやすく検討、解説したい。 第4章と第5章では、刑事司法をめぐる日本人の法意識について、法学にとどまらない社会・自然科学的な観点をも交えつつ、掘り下げた分析を行う。具体的には、第4章では、犯罪と刑罰に関する国民、市民一般の法意識を中心に論じる。犯罪と刑罰の意味、自由意思と責任、刑事司法の目的に関する二つの対立する考え方である「応報的司法」と「修復的司法」、究極の刑罰である死刑の相当性等が中心的なテーマとなる。 第5章では、「刑事司法における明らかな病理現象」である冤罪について、その大きな原因となっている刑事司法関係者の法意識を中心に論じる。 第6章では、第2章から第5章までの記述をも踏まえつつ、基本的ながらやや抽象度の高い法的事項、すなわち法と権利、所有権、契約、民事訴訟に関する現代日本人の法意識について、総論的な考察を行う。テーマとの関係で、民事領域の話題が中心となる。 第7章では、日本人の法意識のうち、司法、裁判、裁判官をめぐる幻想という側面について、いくつかの観点から集中的に論じる。具体的には、裁判・裁判官の本質と役割、またそれらのはらむ矛盾、裁判と裁判官をめぐる幻想・神話の日本的な形態、日本の司法ジャーナリズムの問題と右の幻想との関係、裁判官弾劾で罷免された岡口基一元判事の言動・言説は右の幻想に対するアンチテーゼとしての意味をもちえたのか、といった論点について考えてみたい。 第8章では、制度と政治という二つの観点から、法意識の公的な側面についての概観を試みる。司法プロパーの領域を超えた部分をも含む議論となる。 第9章では、以上の記述を踏まえ、日本人の法意識の基盤にあると思われる精神的風土について、思想的な問題、また社会・集団・個人の問題という二つの側面から考察する。 なお、本文における他書等の引用については、かぎカッコを用いている場合でも、多くは、原文そのままではなく、その趣旨を私の言葉で整理したものである。 また、本文に引用する人名について敬称を付するか否かは、文脈等に応じ、適宜使い分けている。 * さらに【つづき】〈「日本の司法は中世並み」…法律家以外の多くの日本人が、「法」にも「法に関する知識・感覚」にもうとい「納得の理由」〉では、法意識論の前提として、「現代日本人の法意識」について考えることの意味とその重要性について論じていきます。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)