「世界のミフネ」と「石原裕次郎」が取っ組み合いの喧嘩に…超大作「黒部の太陽」撮影秘話 昭和の大スターが涙した理由
撮影中に2度涙を流した裕次郎
木本正次氏の小説を原作に、1968年(昭和43)年に公開された熊井啓監督の映画「黒部の太陽」。3億9000万円をかけたこの超大作は、「世界のミフネ」こと三船敏郎さんと石原裕次郎さんの二大スター共演でも大きな話題を呼んだ。2人がそれぞれ率いた三船プロダクションと石原プロモーションは、本作の製作会社として名を連ねている。 【秘蔵写真】初々しい! 自宅で朝食を頬張り、兄・慎太郎氏とスーツ姿で真顔…若き日の裕ちゃん
「世紀の難工事」と呼ばれた実際のダム建設と同じく、本作の撮影も困難を極めた。その大がかりな規模と現場の苛酷さは現在も語り草だ。さらに、当時の石原さんは資金的に“背水の陣”を敷いてのチャレンジである。石原さんが本作にかける意欲には並々ならぬものがあったが、人間関係的にもなかなかハードな現場だったようだ。 「石原さんは撮影中に2度涙を流した」と「週刊新潮」に語ったのは、当時のマネージャーだった辻玖二生氏。しかも、そのうち1度は三船さんとの取っ組み合いの喧嘩がきっかけだったという。2024年12月28日に迎える石原さんの生誕90周年を記念して、昭和の映画人が時にぶつかり、時に支え合いながら作り上げた名作の裏側をお届けする。 ただし、三船さんが本作の準備段階から尽力し、撮影現場でもその熱演で周囲を圧倒していたことだけは先に言い添えておこう。以下で語られている姿からは、実は繊細で孤独だったという大スターの人間くさい一面が垣間見える。 (「週刊新潮」2006年2月23日号「50年の50人 『黒部の太陽』製作で2度涙を流した『石原裕次郎』」をもとに再構成しました。文中敬称略) ***
映画界から村八分にされて
「黒部の太陽」は、関西電力黒四ダムの完成までを描いた人間ドラマ。大手建設会社の技師(三船)と下請けの会社員(石原)とが、悪戦苦闘しながらトンネル工事に立ち向かう。圧巻は、トンネル貫通の際に破砕帯にぶち当たり、大出水に巻き込まれるシーンだ。 だが、映画完成までには紆余曲折があった。当時を知る映画関係者は語る。 「この作品は、石原、三船プロダクションの提携によるものですが、スター・プロの製作に大手映画会社が反発し、映画界から村八分にされる中で撮影に入ると言った苦境を強いられた」 そのことが撮影に影響を及ぼしたという。