「コタツ記事」の氾濫が「ジャーナリズム」を駆逐…インターネットの父・村井純氏が警鐘を鳴らす「プラットフォーマー」の使命と責任
第1回【日本のデジタル化を20年早めたのは“コロナ禍”だった インターネットの父・村井純氏は“ネットに強く依存する社会”をどう見ているのか】からの続き 【写真】子どもへの影響が懸念されるSNSの「ショート動画」がもたらす問題 膨大な情報がネット上に乱立し、「真」と「虚」の判別が困難なネット社会である。個人から大手メディアまでが、アクセス回数による広告収益をひたすら追い求める時代を、“日本のインターネットの父”はどう見るか。第1回の記事では、混沌とするSNS空間について論じてもらった。第2回では、「PV至上主義」とも呼べる世の中の問題点と、技術による解決策について提言する。(村井純/慶應義塾大学教授、デジタル庁顧問)。 (全2回の第2回) ***
ネット空間の発展とともに、情報の取捨選択が難しい時代になりました。 SNSをはじめ、誰でも自由に意見を発信できるようになったことで、良くも悪くもネット上の情報は乱立状態。メディアがつくるコンテンツも、クリック広告の収益を目的とした、PVを稼ぐためだけの“低品質”なものが目立つようになりました。 もちろん、従来のように、メディアがコストをかけてつくった“高品質”なコンテンツも世の中にはたくさんあるのですが、問題なのは、質の高低にかかわらず、どれも「同列」で目に入るようになっていることです。 ニュースサイトを見てみても、丁寧な取材に基づく調査報道も、「誰かがワイドショーでこんなことを言った」というだけの記事も、一緒くたに並んで出てくるようになっている。一見、どれがクオリティの高いニュースで、どれがクオリティの低いニュースなのか、その信用性も含めて、判別するのが非常に難しくなってきているのです。いくら中身のない記事でも、大手新聞社の固いニュースに挟まれて表示されていたら、信用性の高い記事だと思ってしまっても仕方ないですよね。
“製造工程”をわかりやすく
こうした課題に、技術面でどうアプローチできるかということを我々は今考えています。 たとえば、そのニュースの信頼性を評価することはできなくとも、それを各々が判断するための“製造工程”を示すことはできる。ワイドショーでの発言やSNS上での発信を拾っただけの記事なのか、他のメディアの記事を引用してつくられた“コタツ記事”なのか、あるいは伝統ある会社が丁寧な取材とファクトチェックを経てつくった記事なのか。つまり、「誰がどう作ったのか」ということを、一見してわかりやすく伝えるということは、技術でできることだと思うんです。 今でこそニュースサイトのヘッドラインにその記事の提供元の媒体名が記されることが多くなりましたが、これだって、消費者がクリックすべきかどうかの判断基準になっているはず。こういう取捨選択のための材料をより豊かに提示することができれば、消費者は質の高い記事を選びやすい環境が生まれ、PVを稼ぐためだけの記事はある程度淘汰されていくのではないでしょうか。