平泉成、自身で写真撮影も行い“部の卒アル”作成、子どもと「一緒にすごす」大切さ
平泉成さん自身で写真撮影、サッカー部のアルバム作成
ーーアルバム、平泉さんがご自身で作ったんですか。 「そうです。レギュラーに出られない子の写真も一人ずつ、バーンと載るようなアルバムをね。カバーには一人ずつ背番号をつけて。サッカー部の予算が少ないので、アルバム屋さんに行って、“すみません、こういうものを作りたいんです。これしか部の予算がありませんけど、なんとかお願いできませんか”って」 テレビでは凶悪犯を諭し泣き落とす刑事だった平泉さんだが、私生活では印刷会社に直談判して頭を下げて頼み込んでいたのだ。 「そうしたら“なんとかしましょう”と、アルバム屋さん、サービスしてくれたんですよね。あと、カミさんが彫金をやっていて、彫金の先生に”卒業のとき、それぞれの背番号を入れたシルバーのペンダントをプレゼントしたい”と頼みました。それを卒業していくみんなに渡してやりたくてね」 ーー自分の子どもだけではなく、サッカー部の同級生全員に。とてもステキですね。 「子どもはどう思っていたのかはわかりませんけど、そんなふうに関わっていたので、親子の確執はなかったように思いますけどね」 当時を回顧する平泉さんの口調から、終始子どもへの愛情が感じられたのだった。 ひらいずみ・せい 1944年6月2日生まれ、愛知県岡崎市出身。高校卒業後、ホテルに就職。大映フレッシュフェイスに応募、1964年第4期ニューフェイスに選ばれる。その後、大映作品に出演、1966年『酔いどれ博士』で映画デビュー。1971年の大映倒産とともに活動の場をテレビドラマに移行。1984年から現在の芸名“平泉成“に改名。以降、作中で存在感を放つバイプレイヤーとして名を馳せる。その特徴的な声と唯一無二の人間味が、多くの人にものまねされることになり、世代を超えて支持されている。 有山千春
有山千春