コメを食べる犬は「ぜいたく品」多くが殺処分で激減…戦後に“全ての柴犬の父”となった名犬 「日本中の愛犬家が素晴らしさに驚き、とりこになった」
柴犬の源流は長野県にあり―。世界中で人気が高まっている柴犬。その全てに、戦後に長野県小布施町で飼育されていた雄犬「中(なか)」の血が流れているという。戦中に絶滅の危険があった柴犬の「中興の祖犬」と呼ばれる名犬。だが、その存在や業績は世間から忘れられて久しい。 【写真】名犬「中」の全身
中の印象
「りんとしていて、見ただけで凍り付くような感激を覚えた」。日本犬保存会(事務局・東京)会員の田中達夫さん(91)=佐久市安原=は、中の印象をそう話す。田中さんは須坂市出身。学生だった1951(昭和26)年ごろに隣町の小布施へ自転車でよく出かけ、中を飼っていた故樋田秀男さんを訪ねた。 樋田さんは鮮魚店を営む傍ら、複数の柴犬を飼育して繁殖に努めていた。樋田さんは、田中さんが来ると「よく見ていけや」と声をかけ、快く犬を見せてくれたという。
殺処分
戦中の食糧難時代、コメを食べる犬は「ぜいたく品」とされ、多くが殺処分された。そのため、終戦時には良質な柴犬は数頭までに激減。樋田さんは、甲府市で1948年に生まれた中を入手し、自宅敷地に犬用の運動場を作って愛情深く育てた。
快挙
1949年、日本犬の良質さを競う日本犬保存会全国展覧会で中は総合1位を受賞。「日本中の愛犬家が中の素晴らしさに驚き、とりこになった」と田中さん。戦前までは秋田犬が人気だったが、中の登場により「柴犬が人気になり、みんなが中の子どもを欲しがった」という。
小布施参り
樋田さんの自宅には、中の子を求める愛犬家がこぞって訪ねてきた。交配する雌犬は鉄道便で続々と送られてきた。その様子は「小布施参り」と呼ばれるほど。日本犬保存会会員で展覧会審査員の中沢剛さん(54)=更級農高教諭=は「中の子には良質な犬が多かった」と話す。
信州柴
中は1963年に死んだが、長野県内には子孫が多く残り、熱心な繁殖家も多かった。中の血を継ぐ柴犬は「信州柴」や「信州系」と呼ばれて人気が続き、60~70年代にかけて全国各地に広がっていった。その結果、「全ての柴犬に中の血が流れている」(中沢さん)までになった。