毒蝮三太夫、大山のぶ代さん夫婦との思い出語る「旅行先で声出すと『ドラえもんだ!』って…どこへいっても人気者だった」
大山のぶ代さん(享年90)の訃報を受け、大山さん、砂川啓介さん夫妻と親交のあるタレント、毒蝮三太夫(88)が11日、サンケイスポーツの取材に応じた。「今、(自宅の仏壇に)線香をあげたところだ。昭和が遠のいてくね」としんみり。半世紀超に及ぶ夫妻との思い出を語った。 さっき事務所から知らせがきたよ。ペコ(大山さんの愛称)は10年くらい施設に入ってただろ。いつか、いつかって覚悟してたんだ。 俺は10代の頃から啓介と知り合いでね。ペコが施設に入ったとき、啓介から「行っても分からないから行かない方がいいよ」って言われてたんだ。啓介の葬儀のときペコと会えなかった。だからふせているペコではなく、元気なペコしか知らないんだ。 啓介は初代たいそうのおにいさんで、ペコと結婚したときは啓介の方が有名だった。2人の結婚式は俺たち夫婦も挙げた赤坂プリンス。驚いたのは式場にキッズコーナーがあったんだ。子連れでも出掛けられるよう2人で考えたんだろう。先見の明があったよね。ペコは痩せててかわいかった。 旅行は俺のカミさんも一緒に4人でよく行った。あるときの正月は、アメリカのロス、サンフランシスコからハワイへ行ってさ、長嶋(茂雄)さん夫婦とバッタリ会って皆で「ハッピーニューイヤー」って。メキシコ、北海道といろんなところに行った。 そうそう、お土産を買うときにペコが「いくら?」って声を出すと「ドラえもんだ!」って分かっちゃって、どこへいっても人気者だった。「私はドラえもんに巡り合えて本当に幸せだった」って言ってたよ。 啓介とペコが浅草へ行ったことがないっていうから、下町生まれの俺が案内したこともあった。ペコが「黒柳(徹子)さんも行きたいって」って言うから4人で行ってさ。ペコと徹子さんは靴や舟和の芋ようかんをドッサリ買って。俺と啓介はポーターだよ。 いろんなことがあった。ペコが流産したこともあったね。俺たち夫婦も子供がいなかったから「子なしの会」を作ったこともあった。啓介もペコも他人の子供を本当にかわいがっていたよ。 啓介が歌うとペコは「うまい!」「啓介さん!」って声飛ばしてさ。自慢の亭主だったんだろうな。啓介は晩年「俺はドラえもんの亭主だ」って言ってたし。ケンカをしているのを見たのも1、2回。本当におしどり夫婦だったよ。