奈良美智ロングインタビュー(前編)。自分を育んだホーム、感性のルーツ、東日本大震災という転換点を振り返って
人生の物語を伝える5つの章立て
──今回の展示は、奈良さんの人生にとって重要なトピックに注目し、それぞれのセクションごとに作品が紹介されています。一般的な美術展は作品が主体で、作家の人生は補足的に説明されることが多いですが、この展覧会ではその構図が逆転していて、奈良さんの生き方と作品がどれだけ深く結びついているかがダイレクトに伝わってきます。 俺の場合、作品のイメージが強すぎるから、ほとんどの人は表面的に見てしまって、その背景にあるものが後ろに隠れちゃうのね。専門的に深く分析する研究者もいなかったし、みんなが見ているのはここまでで、そこから向こうはどうせわかんないだろうなって、半分諦めてたの。それが、2020年にファイドンから出た本『Yoshitomo Nara』(日本語版『奈良美智 終わらないものがたり』青幻舎)を作る過程で、気持ちが少し変わってきた。著者のイェワン(・クーン)に自分の中にあるものを根掘り葉掘り聞かれていくうちに、こうやっていくつかのテーマで人生を分けていけば、文脈をもった展覧会が構成できるんじゃないかって思えた。 ──奈良さんの創作の源泉となっている内側の世界が、他者の視点から客観的に整理されたわけですね。 自分では分けているつもりでも、分析していないからぐちゃぐちゃだったし、外からは見えないしね。 ──高橋さんは、その隠れていた部分に、「家」「積層の時空」「旅」「No War」「ロック喫茶33 1/3と小さなコミュニティ」という5つの切り口を与え、奈良さんの内面や生き方を見事に浮かび上がらせました。 自分では想像していなかった切り口だったから、すごく新鮮だったよ。作家というより、自分という人間がどういうふうにできあがってきたのかがわかる構成だよね。過去の自分をいまの自分から見ることによって、これまでの歩みと作品の両方に客観的に向き合えたような気がする。 いちばん印象に残っているのは、高校のときに音楽好きの先輩に誘われてつくったロック喫茶33 1/3を、もう一度再制作してほしいと言われたこと。当時のことは自分の頭の中からほとんど抜けかけていたのに、高橋さんは、「ロック喫茶をつくっていなければ、いまの奈良さんはいませんよ!」と言っていて。でも、たしかに、この小さなロック喫茶で、俺は好きな音楽を共有できる仲間と初めて出会い、DIYで店をつくり、DJをしたり、みんなとお花見やソフトボールをしたりと、小さなコミュニティのよさをすごく深く体験できた。東日本大震災以降、俺は地方の過疎地にある小さなコミュニティで自分ができることを模索しているから、ロック喫茶はその原点だったんだなと気がついた。 そんなふうに、高橋さんのおかげで、自分の中の下のほうにあったいろいろなことを思い出したり、気づいたりできて、この展覧会はすごく楽しかったよ。 ──その楽しさや心地よさは、展示からも伝わってきました。 自分はディスプレイをするだけだったから、すごく気が楽だった。作品は思ったほど借りられなかったし、新作も少ないけど、いつも、あるものだけでその場で構成するから問題はないの。細かい展示プランもつくらなかった。青森県立美術館は、自分の家のように身体が空間を把握しているから、自室の内装を変えるくらいの気持ちで始めて、ほぼ5日間で展示は終わったよ。 ──本当に、その場で直感的に配置していくんですか? そう。自分は制作するよりも、モノを配置するのがすごく好きで、得意なんだって気がついた(笑)。何度もちょっとずらしてやり直す人がいるけど、まったく理解できない。そのもの自体の価値は変わらないのにね。 台湾で描いたドローイングをたくさん置いているテーブルは、適当にサイズを言って作ってもらったものなんだけど、並べていくと、最後にピタッと全部入ったからびっくりしたよ。子供のときに受けた知能テストで、図形だけがずば抜けてよかったから、たぶんディスプレイの才能があるんだと思う。いつも展示は、図面もつくらず、右から始めて左でピタッと終わる。やり直しはない。 ──同じように絵も……。 絵はできない。あるものを組み合わせるのは簡単だけど、ゼロから生み出すのは難しい。ドローイングだと感情で描けるけど、絵は考えないとできないから。