<私の恩人>ケイコ先生、福山雅治の言葉が転機の支えに
日本テレビ系「進ぬ!電波少年」の企画「電波少年的東大一直線」で“家庭教師のケイコ先生”としてブレーク、現在は浪曲師として活動する春野恵子さん。東大卒という経歴と美貌で注目され、女優としても活躍しましたが、2003年に浪曲の世界に飛び込みました。悩みの海を泳ぐ日々の中、灯台のように道を示してくれたのが福山雅治さんだと言います。 新喜劇のマドンナ 「失敗を優しく諭してくれた大先輩」
「電波少年」に出演させていただいたのが、2000年から2001年にかけて。東京・四谷にあった部屋にこもって、8ヵ月間、ケイコ先生として坂本ちゃんの家庭教師をさせてもらいました。その間は外の情報が入ってこなかったので、全然知らなかったんですけど、番組を見た福山雅治さんが「ケイコ先生のファン」とご自身のラジオ番組でおっしゃっていただいたそうなんです。 「電波少年」の企画が終わって数ヵ月後、福山さんから「ラジオに出てほしい」とオファーを頂戴しました。スタジオでお会いしたのが初対面。福山さんのギターに乗せて私が歌うなんてありがたい流れもあったんですけど、舞い上がってしまって、よく覚えていないまま番組が終わってしまいました(笑)。 それからはお会いすることもほぼなく、数年が経ちました。その間、私は浪曲に出会い、電撃的に「小さい頃から時代劇とミュージカルが大好きだった自分が、一生をかけるのはこの芸しかない」と感じて、浪曲の世界に入りました。 08年、浪曲師としてのお仕事で東京に行った帰り。新幹線の品川駅で背の高い男性が「久しぶり!!」と声をかけてきたんです。それが福山さんでした。品川駅でお会いした後、福山さんにお礼のメールをお送りしたんです。なんというのか、謙遜の意味を込めて、私が「浪曲という人がやらない、ある意味、マイナーな世界に…」という言葉を綴ったら、福山さんから返事が来ました。「では、あなたが浪曲をメジャーにしてくださいね」と。 アタマをガツンと殴られた気がしました。というのも、私は「電波少年」で顔と名前を知っていただきました。それは本当にありがたいことなんですけど、自分が浪曲師になる時、自分の中では、ある種の覚悟として、過去を捨て、髪も坊主にして、生まれ変わる気持ちで浪曲を始めたんです。