1時間23分の真夜中の異例引退会見でイチローは何を語ったか?(1)
――エイミーさんも応援にきた、ファンの存在はどうだったのか。 「ゲーム後にあんなこと(ファンが居残ってのイチローコール)が起こるとはとても想像していなかったが、実際にそれが起きた。19年目のシーズンをアメリカで迎えていたが、なかなか日本のファンの方の熱量を普段、感じることが難しい。なんとなく、日本の方は表現することが苦手という印象があったが、それが完全に覆った。内側にもっている熱い思いが確実にそこにある、それを表現したときの迫力というものは、今まで想像もできないものだった。これは最も特別な瞬間だった。あるときまでは自分のためにプレーすることがチームのためになるし、見てくれている人も喜んでくれると思っていた。ニューヨークにいった後くらいから人に喜んでもらえることが一番の喜びに変わってきた。ファンの方々の存在がなければ、自分のエネルギーは生まれなかった」 ここでイチローがメディアに問いかける。 「僕おかしなこと言っています? 大丈夫ですか?」 ――貫いたもの、貫けたものとは? 「野球のことを愛したこと。それは変わることはなかった」 「おかしなこと言っています?」 ――ここまで肩の荷を下ろした瞬間はあったのか。 「プロ野球生活の中で、それはない。子供のころからプロ野球選手になることが夢で、それが叶って、最初の2年、18、19歳は、1、2軍をいったりきたりしていたが、その状態でやっている野球は結構、楽しかった。94年、3年目に仰木監督と出会い、レギュラーで初めて使ってもらった。この年まで。楽しかったのは。あとは、そのころから急に番付を上げられちゃってしんどかった。力以上の評価をされるのはとても苦しい。やりがい、達成感、満足感はあったが、純粋に楽しいか?というとそれは違う。今は将来は、また楽しい野球をやりたいなと。プロ野球の夢が叶ったあとに、そうじゃない野球を夢見ている自分が存在した。でもこれは、中途半端にプロ野球生活を過ごした人間には待っていない。楽しい野球? 趣味、たとえば草野球。プロでそれなりに苦しんだ人間でないと草野球を楽しむことはできない。これからは、そんな野球をやってみたいなという思いがある」 ――日本の開幕戦を前に「大きなギフトをもらった」と仰っていたが、終わってみれば私たちが大きなギフトをもらった。 「そんなアナウンサーぽいことを言わないでくださいよ(笑)」 ――これから私たちにどんなギフトを? 「ないです。無茶を言わないで。でも本当に大きなギフトだった。去年の3月頭にマリナーズからオファーをもらってから今日への流れがある。あそこで終わってもおかしくない状況だった。今、この状況が信じられない。オフの間に準備する場所が神戸の球場だが、寒い時期に練習をするので、へこむ。心が折れる。でも仲間に支えられてやってきた。最後は、今まで自分なりに訓練を重ねてきた神戸の球場でひっそりと終わるのかなと、あの当時、想像していたので。今回は夢みたい。ほんとに大きなギフトだった」